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カテゴリ:思い出( 12 )

思い出をしがむということ(C7の話)


GO!GO!7188-C7


もう10何年も前、17歳の頃、先輩の彼女の家がたまり場みたいになっていた。平日の夜中、単車に乗って行って、2人並んで先輩と。その彼女の家に。どこまで続いているのか分からない急な坂を上がって、左に見える白い二階建て。で、なんでもない、朝までしゃべって解散するだけなんだけど、その間ずっと先輩の彼女が好きだったGOGOが流れていた。特に魚磔の2曲目、C7が好きだった。


その先輩の彼女はぼくと同い年で、名字をもじってマッキーって呼んでいた。マッキーの家に行くと、必ずと言っていいほどカナエちゃんって言う友達がいた。2人とも県下有数のあほが集まる定時制高校に通っていて、いつ会っても制服姿だった。金髪にえぐいミニスカ。4人で色んな話をした。思い出せないくらい下らない話。あれはいい、これもいい、それはいやだ。そんなことしか話してなかったんだと思う。カナエちゃん、ガソリンスタンドでバイトしてて、たまにガソリン入れてもらったなあ。かわいいひとだった。今思えば、ちょっと好きだったのかもしれない。


マッキーと先輩はいつの間にか別れてしまって、それからあまり会わなくなった。ぼくも大学受験とバイトで本当に忙しくなって、昔のように平日の深夜に訪ねるというようなことはしなくなった。マッキーはその後地元のヤンキーと結婚して息子が生まれて速攻離婚して、いまは保険の営業をやっている(と思う)。そのヤンキーはぼくの中学の友達で、ものの見事な底辺って感じだった。いい奴だけど、父親になるには早かったんだと思う。カナエちゃんは分かんないけど美人だったから、なんとかなってるだろうし、そうであって欲しい。びっくりするくらい頭が悪かったから、余計なお世話だけど、ちょっと気になる。


その先輩もぼくが知らない人と結婚したし、マッキーは子連れ狼だし、カナエちゃんは消息不明だし、ぼくは大阪でマーケターとかいう仕事をしていて、そりゃあれから10年以上経つんだからみんな色々ある。だけど、C7を聴くと、あの時のことがグッと思い出されて、いいな~~って思う。むしろ、思い出そうとする。10代だったからか何の恥じらいも無かったけど、どうかこの夜が朝にならないでってところ、本当に思っていた節がある。


部屋の整理してたらマッキーとカナエちゃんの写ったプリクラが出てきてワッとなった。未来のことなんて微塵も考えてない、この時期特有のあっけらかんとした良い表情をしている。2003年くらいはみんなこんな顔をしていた。もちろんぼくも。

by ahoi1999 | 2018-01-24 01:13 | 思い出 | Comments(0)

2017年の音楽(に、まつわるエピソード)

Boredoms - Super you


2017年まで、Boredomsで新生児が泣き止むことのありがたみを知らなかった。難解な音楽を背伸びして聴いていた頃の自分に言いたい、お前はえらい。スーパールーツ、揃えておいてよかった。初夏くらいまでは一晩中眠れなかった記憶しかない。太陽が昇ってからずっと乳を吸われ続け、おむつを替え、洗濯をした嫁は、日没後、死体の如く動かない。帰宅した夫しかやる人間はいない。深夜、泣く子、不動の嫁、うさぎがイラ立ちエサ箱を蹴り倒す中、ミルクを作っておむつを替える。セックスはイージーだけど、出口戦略は必要なんじゃないですか。滝行するとか、写経とか、そういうある種の精神鍛錬ですけども。





Haywoode - I can't let you go ''Tigh & Mighty Mix''


わが子は2,000gくらいで、割と小さく生まれて来た。嫁的には『出産助かったわ~~』ということなんだけど、ぼくは内心正気ではいられなくて、絶対吐き戻すだろうなと思っても欲しがるだけミルクはあげた。新生児は呼吸が不安定だということを頭で分かってはいても、ちょっと息が詰まったように聞こえて、体も小さいし死んじゃうんじゃないかと気になって眠れやしない。だいいち、ちんちくりんの小男であるぼくは体が小さいとろくでもないことをよく知っている。だから、大きく育って欲しかった。1か月、2か月、3か月と猛烈にミルクを飲みまくっていた。あっと言う間に標準体重まで大きくなった。ぐにゃぐにゃと動こうとする様を見て安心した。暑くなってくると、授乳の頻度も落ちてきて、今度は起きてる間ずっとあやしていないと泣き叫んで大変になってきた。ひとりで動けないことに対してフラストレーションが相当溜まるらしい。まともに相手をしてずっとあやしていたのだけれど、途中から本当に頭がおかしゅうなるわと思い、夏の間はこの曲に乗せて抱き上げ、クーラーを利かせたリビングで踊り狂ってました。





Phum Viphurit - Long Gone


タイ音楽がすごいぞ!みたいな記事を読んでいて本当かよ~と思ったら本当だった。まとまった連休があるとすぐタイまで女を買いに行く友人に聴かせると、『ほ~~ん』と言っていた。性と音楽は、ぼくの中では近いものがあるんだけど、彼はそうでもないらしい。その時聴いてた音楽をあとになって聴いたりすると鮮明にそのシーンが甦ったりすること、無いのだろうか。小学校からの長い付き合いだが、こんなに南国の性に忠実な男もなかなかいないと感じる。一本気で、ぼくは好きだけど。




Chai - Gyaran-Boo


コツコツためた小遣いで吟味に吟味を重ねてCDを買うという一連の行為。そんなことを30歳を過ぎたおっさんがやっている。まことに滑稽極まりない。気持ちは中学生のままだと思うことは度々あったが、まさか本当に中学生のようなことをやるとは思わなかった。家庭のあるサラリーマン。お財布事情は高校生未満である。だから、とにかく無料で楽しめるyoutubeはすごい。すごすぎる。youtubeは小学生とおっさんのためにあるし、おっさんと小学生がyoutuberに憧れるのも頷ける。そんなことで、ぼくは最新の音楽情報をyoutubeに頼るほかなかった。そして、Chaiを知る。80'sニューウェーブとゼロ年代リバイバルの合いの子であり、技量は若手にして過分。ビジュアルは派手。背後で押しまくっているプロモーター連中のきな臭さはあるものの、久々に前に出てきてよかったなと思うバンドだった。これは聴いた方がいい。良かったので。





Junie Morrison - Super Spirit


とにかくそういうことだから、昔買ったCDばかり聴いている。中でも、アルバムの7曲目に入っているような曲ばかり聴いている。飴のついていた棒をしがむような感覚がとにかく良い。この感覚はそのまま人生じゃないかとも思う。飴はすっかり無くなってしまって、棒がモロモロになってきてもなおしがみ続ける。飴ではなくてもう全く別の食べ物が横にあるのに、なんとなく捨てるのが惜しい感じになる。貧乏性だからかも知れない。結婚したからと言って、家庭があるからと言って、あんまりすぐに別の果実にかぶりつけるほど図太い精神ではないからかも知れない。昔よく聞いた音楽は多分これからもずっと聴き続けるんだろう。





BUDDHA BRAND - 人間発電所


夏の終わりに嫁はスチャダラパーのサマージャムをよく聴いていたけれど、ぼくはブッダブランドだった。本当は54-71が聴きたかった。「Emolition Man」という曲を聴いていた時に、『そのアタマおかしい音楽やめてくれへん?』と言われて、部屋で流すのをやめた。確か土曜に部屋の掃除を終えてくつろいでいた時だった。うさぎがよく反応する。すぐに秋が来てしまって、風邪を引いた。モノホンプレーヤーとは何なのだろうか。





YeYe - うんざりですよ


『決して手に入らないものばかり求めて、それについて考えて、言葉を重ねて、どうなったんですか。もしかすると結果なんてどうでもよくって、はなからその過程自体を苦悩のうちに楽しんでいるだけなんじゃないですか。だとすれば、それはほんとうに悲しいことですね。あなたが普通の生活というものへの憧れを捨てきれていないのであれば、流れに任せて何かをしたり決めたりする年齢ではとうにないのだから、少なくとも今まさに起こそうとしているその行動にちゃんと意味を持たせて下さい。』




The xx - On Hold


生活に消耗しているわけではないけど、なんとなくスペシャルなエピソードを思い出したり、少し前まで大切にしていたこととかが気持ちの前の方に出て来ていない気がして、何年かに一度色々あってこんな年始を迎えたことがあったっけなって思う。なんにも変わってないし忘れてもいないんだけど、前の方に出てきていた気持ちがどっかに引っ込んじゃってる感じがなんとなくかなしい。今まで全肯定して来たはずの自分の内面の変化に気付いた瞬間って、イヤ〜〜な感じになりませんか。歳を取るのはどうも不得意で、これは経験を重ねるという意味で。ともあれ、ぼくは、むかし出会ったいい女の思い出を息するみたいに話しはしないし、いい女の話は他人にしないので。





台風クラブ - ついのすみか


大阪に暮らして丸3年が経った。仙台で暮らしていた2011年からの3年間が、そんなことあったっけ、というような感覚でいる。その前は東京に居た。本当にいろんなことがあった。このブログに書いてきたいろいろ以上のいろいろがあって、今がある。セールスではなくて、マーケターというのをやりなさいということで、大阪に来た。ぼくは転勤族だから、大阪もすぐ離れることになるんだろうなと思っていた。ところがなかなかこれが、転勤するような感じが全くしない。去年の今頃に、ひとりの女性と出会って、洗濯機に放り込まれた服みたいに右へ左へ転がっているうちに、結婚もした。ファミリーマンションなんてのはわりかし広くて、ワンルーム暮らしに慣れたぼくには落ち着かなかったけど、今じゃ狭いくらいだ。むかしは毎日毎日あれだこれだと言っていたわけだけど、よくよく思い出し考えてみるとなんてことはない日常が続いているだけだった。クソつまらんどうでもいい日常をアップし続けるのはフェイスブックくらいでいいと思う。だいたい自らの日常をSNS経由で全世界に向けて開陳することは、ほぼ公開排便に近いし、そうなればフェイスブックは単に便器だ。ここまで言っているけどこれは酷評じゃない。それはそれでいい。ぼくが言いたいのは、その便座は温かいほうがいいってことだ。うんこは出てしまうものだから、なるべく家の快適なトイレでしたいでしょうという、穏健な提案なんです。今ぼくは起きた出来事そのものの面白さよりも、これからどういうことが始まって、それが続いて、終わりがあるのかないのか、みたいなことを楽しみにしている。人生の1/3をとうに過ぎる年齢まで来たからなのか、はたまた家庭での役割があるからなのか、理由は分からないのだけれど。この家にはあと5年もいないと思う。このブログはたぶん続く。けっこう温まっているので。

by ahoi1999 | 2018-01-05 00:47 | 思い出 | Comments(0)

2016年の音楽(に、まつわるエピソード)



ぱいなっぷるくらぶ ― finderrr


20代最後の歳だったから?状況がそうしたから?つくりすぎのセリフでアンビバレンスを感じるのは冬だったからなのかもしれない。理想的にゆれるのは心だけでいいと思うし、あの時のことは今となってはよく分からないけど、分からないなりに思い返すと、記憶は案外鮮やかに残っていたりする。いずれにせよ感情の切れ味はすごくて、ペーパーナイフのつもりで遊んでいたらいつの間にか斧になっていたりするから要注意だ。ぼくは『過去は振り返らない』と心から言い切ってしまう人には一生なれない。そんなマッチョでスパルタンな精神を持ち合わせていたなら、こうして何かを書くこともしないのだし、そもそも思い出をどういうものにするのかなんて、未来の心持ちしだいでしょ。現に、すげえ情けない内容だなと思ってたこの曲も、今はわりと心地良い感傷があっていいなと思う。




Ozone ― Gigolette


年上の女性と少しの間デートしていた。誘われるがまま、全くの興味本位で。その人は33歳だった。の割には、おおよそ洗練されていないタイプの人格で、少なくともぼくとは合わなさそうな人だった。いわゆる不思議系とか、良く言えば天然ボケとか、そういうカテゴリーに属する人だった。さらに加えて、「何のきっかけもなしにどんどん熱量を上げていく人種」でもあったことが致命的だった。それに気づいてからはいよいよ本当に人が合わないなと思った。この後期アラサー女の、直近までやっていたドロドロ不倫の話、芸大を出て夢だったテキスタイルデザイナーをしていたのに男でこじれて会社を辞めた過去、決してしゃくれてはいないが少し尖ったアゴ、自称上野樹里似の天パみそじ女、職場の同僚に誘われた32歳のハロウィンでナースのコスプレをしていたらザイル系男にナンパされ人生初のクラブへ行ったこと、それら全ての話を、ぼくは淡々と聞いていた。これだけ見事に、全てのエピソードに、自分の主導権が存在しない人もいるのだな感心した。結局いい歳こいて男の転がし方も知らないジゴレットじゃないかと思った。『やっぱりデンギンのっ、ヒィッ、バァルヒトトォワァ、げっごん、で、で、で、でぎない゛ぃぃ゛のォ~~!!!(やっぱり転勤のある人とは結婚できないの)』まがい物の上野樹里が泣きながら電話して来たのは、それから少し後のことだった。いきなりのことに絶句した。たった一ヶ月の間で、彼女はぼくとの結婚を真剣に考えていたらしい。というより、彼女の中でぼくたちは、結婚を前提に付き合っているらしかった。頭の病気なのではないか。統合が失調してしまったのなら、即座に黄色い救急車を呼ぶべきだ。そう思った瞬間、あ、この人はちゃんと自分で自分のことを決められるんだな、と妙に安心したのも事実なんだけれど。




OGRE YOU ASSHOLE ― ピンホール


ぼくは他人の話を真正面から聞き過ぎるし、あなたは真反対から物事を見過ぎだ。けれども、その間を取ることは到底出来るものではないのだし、ぼくは聞いた話をそのまんま額面どおり覚えていて、いつかそんなことを言われたなと時たま思い出して用意をしておくくらいのことはする、瞬間、あなたはその逆を常に行っていて、交わることは最後までないのだとも想像する。考え方を少し変えれば、正面とその反対にいるものは同じ感覚を持っているとも言えるし、たまたま最初のポジションが逆だったというだけで、本質的なものの見方は同じだと言える。ぼくらは平行でないのであって、相対しているだけだという、そういう構造の中にいるということだ。




Herbie Hancock ― I Thought It Was You


何回催促しても我が家から全く退出する意思のない女教師に『もう泊まってったら。風呂は勝手に入っていいし、タオルこれ。あと着替えここ置いとくわ。』と言って先に寝ていた。『なぁなぁ寝てんの?』『なぁなぁ』『も~~~』と言ってるのは薄っすら聞こえていて、体を強く揺すられて起きたら、目の前に全裸の女教師がいた。次の瞬間には入っていた。否、入れられていた。ちんぽが膣に押し込まれたのだ。セックスだ。まどろみセックスというやつだ。なんなんだこの女。クソほどエロいじゃないか。もっと早く言ってくれ。つけたのか?いやそんなことはない、絶対なんにもついてない。生だ。世の中の大体の女には『先っぽだけ!お願い!』とかいう、情けないお願いをしなければならないのに、オートメーションで生だ。なんてこった。先生これはいけない。『えっ、ちょっ、これ』と思わず口に出したら、『私の勝手やん』と言う。おいおい。インモラル女教師っていうタイトルで一本撮れるじゃないかお前。がぜん燃えるじゃないか。やってやろうじゃないか。私の哲学はね、触らせていただく、舐めさせていただく、入れさせていただく、これなんです。セックスとは三つのさせていただく精神。これが私です。させていただいておるんだけども、改めて今からさせていただきます。あらためまして、はじめまして、ちんぽです。そういう気持ちである。そういう気持ちで夜が白む頃までさせていただいたわけです。はっきり言ってレイプです。私、たいへんに満足でした。ありがとうございました。以上が、黒く長い乳首を持つ先生に、犯されたいきさつです。




太平洋不知火楽団 ― サテライトからずっと


季節の高揚感に反比例するみたいに感情が死んで鬼仕事マシーンだった初夏のころ、頭がぶっ壊れそうになっていた。深夜、誰もいなくなった事務所でひとりビールを飲みながら仕事をしていた。マーケターであり、プロダクトプランナーであり、営業セクションのフォローと言う名のもとに半分セールスまでやっているのだから、当然数字を意識しなければならない。決算期までまだまだ時間はあるのだけれど、それはあくまでカレンダー的な概念であって、数字作りのための商品開発を行うには5月がスケジュールのリミットだった。数字いじりばかりしているのんきな連中は楽観的な予測ばかりを並べ立てて、今期は事業計画通りの着地であるという。そんなはずはない、と思った。現場にいれば分かる。危ない匂いがする。『仕事の効率を考えろ』などと言いながら早々と帰っていくおっさんたちの背中を見送りながら、ああもうとことんやってやろうと思った。とたんに酒量が増えた。タバコも増えた。頭はかなり冴えた。口の利き方と態度は非常に悪くなった。深夜2時、事務所のセコムをセットして退勤、コンビニでストロングゼロを買って飲みながら帰る。イヤホンからは爆音で太平洋不知火楽団が聴こえる。途中、自販機のゴミ箱に空になった缶を押し込んで歩く。自宅マンションのエレベーター、3F降りて左。ドアを開ければ即寝。そんなことが梅雨くらいまで続いた。ところで、当社の決算は終わったんだけど、やっぱり事業計画は未達に終わりました。今年のぼくには、去年と同じことはもう出来ないし、おっさんたちのことを内心『ばーか』と思っています。




Toro Y Moi ― Never Matter


クソ暑い夏の日に、涼しくなれそうな気がして、この曲ばかり聴いていた。




Talking Heads ― This Must Be The Place (Naive Melody)


実際のところ人生は向こうからやってくる。正確に言えば、人生のカタチは勝手に決まる。自らの力で積み重ねた先に決定的なものを掴み取ることが人生の醍醐味だと思っていて、またそれが人生そのものだと思っている人には残念極まりない事実だ。何かが起こることを察知したその瞬間、肩から腰にかけ大きく体をのけぞらせて様々なアクシデントを回避してきたぼくにも、回避できないことがある。たまには何かが直撃することだってある。隕石とか、彗星みたいなものである。いくつもの「不自然」が偶々重なり合って「自然」ができているのか、作為や不作為の連続が未来予測を不可能にしたのか、今となってはよく分からない。そもそもぼくらはブリには大根、納豆にはネギ、みたいな感じではなかった。なかったのだけれど、なんとなく、日々は過ぎていく。何事もなく。例えば二人とも栗ごはんがあまり好きではないのだけれど、おれは栗ごはんの塩加減最高なごはんが好きであの人は栗ごはんの蒸された栗が好きで、そういう理由であまり好きではない栗ごはんを囲うことだってある。なにも、栗ごはんそのものの好き嫌いにこだわる必要はないってことだ。とにかく、そういうことで、毎日を過ごしている。

by ahoi1999 | 2017-01-25 01:29 | 思い出 | Comments(0)

ハマちゃんのこと

もともと色白だったぼくは今この歳になっても肌が黒いのだが、人生で最も色黒だったのは中学の頃だ。小学校の時は「ふがし」と形容されるくらいで済んでいたというのに、この頃はチョコバットくらいだったのではないか。色黒の絶頂期である。皮膚科に行ったら医師がひとめ見ただけで『病気ちゃうか、自分』と言ったのもちょうどこの頃だった。左手首のあざがもともと青あざだったと言っても全く信じてもらえなくて悲しかった。今ではちんこも玉袋も、おまけに乳首も黒い。漆黒ほどの艶やかさもない。母は『アンタが3歳くらいの夏やったかなぁ、外でずっと遊ばしてたら真っ黒になって帰ってきてな~』と呑気に言うのだが、「外で遊ばせていたら真っ黒になって帰ってきた」という状態に何の異常性も感じない神経がすごいと思う。AM真っ白PM真っ黒である。正気の沙汰ではない。こんなんだからampmは潰れてしまったのだ。「午前・午後」という概念がそもそも時代にそぐわないのである。やっぱりコンビニは「7-11あいててよかったぁ~近くて便利でいい気分」でなければいけない。



黒光照男(くろびかりてるお)として絶頂を迎えた中学時代は、水泳部に所属していた。みんな仲が良かったけど特別、ハマちゃんという、一つ上の先輩とよくつるんでいた。ハマちゃんの泳法は独特で、とにかく持ち前の筋力で水を跳ね除けながら進むという、いわば邪道中の邪道。それでも速かった。筋肉のつき方は野生児のそれだ。入部してすぐ『ぼくには敬語使わんといてや、頼むで』と言ってきた変な先輩。突然『なんでボクは童貞なんやぁぁぁ!!うおおぉぉぉぉ!!』と叫びながらプールに飛び込み、一気に1,000m泳いで家に帰るような人である。まともではない。ハマちゃんの自宅は琵琶湖を望む小高い丘の上にあって、1階はハマ母が気まぐれに開けるパン屋になっていた。気まぐれすぎて客なんて居やしない。2階のハマちゃんの部屋にはPC-98があった。ハマ父は海外赴任が長かったらしく、洋物ポルノが押し入れにしまってあったりして、それを2人で『スゲ~~なんじゃこれ!えっ、マンコってこんなん?グロない?』と言い合いながら、しかし勃起をしながら読んだりした。夫婦仲は異常に悪いという話だった。ハマ妹とハマちゃんは犬猿の仲だ。ハマ妹が『お兄ちゃんキンモッ!』と言うとハマちゃんは『うっさいブス!デブ!ビッチ!』と罵倒した。ハマ妹はまだ小6だった。



とにかくハマちゃんは不可能性を感じさせなかった。夏休みのクソ暑い日、涼を求めて入ったスーパーに陳列された、キンキンに冷えたコーラが飲みたくて仕方がない。しかし財布には100円と少しくらいしか入っていない。『ハマちゃん、是非とも飲みたい』と言ったら、『そういう時はやで、そういう時はやでぇ~~!!』と言いながら常温コーナーに置いてあった50円のドクターペッパーを手に取り、10m先の冷凍食品コーナーの奥底に突っ込んだ。『じっくり店の中見てたら言うてる間に冷えるわ』とハマちゃんは言った。ぼくはキンキンに冷えたコーラもどきを通常値の半額で買えた。ハマちゃんは『もうちょっと待ったらもっと冷えたかなあ?』と言いながら店の軒先でそれを一気に飲み干した。ぼくのチャリがパンクした時だっていきなり補修キットをリュックから取り出してパッと直して『エロ本買いに行こや!!』と言った。『どこ行くん?』と聞いたら10km先の隣の市だった。『そこ、中学生でも売ってくれるらしいで!!!』ぼく達はすぐにペダルを漕ぎ出した。ハマちゃんには欲望を諦めるという意識が欠如していたようで、どんな形でもやりたいと思ったことをやらないと気が済まない性格だった。ただ、童貞喪失だけはどうしたいと思ってどうこう出来るものでもなく、いつも『アーッ!フグリがぁ!ぼくのフグリがァァァ!うずくんじゃボケェ!』と言いながらぼくの同級生であるクニ(水泳部唯一の超肥満体)の頭をシバいていた。クニは『いぃ~たぁ~いぃ~なぁ~もぉ~』と言っていた。クニ(超肥満体)は布団屋の息子だった。



高校に入っても交流は続いた。ハマちゃんは『パンツめっちゃ見られそうやん』という頭の悪い理由で女子が9割の商業高校に行った。実際むちゃくちゃパンツを見たそうだ。ぼくは何の変哲もない、たいして賢くもない普通科高校に行ったから、正直、むちゃくちゃうらやましかった。高1の夏休み、『ジンっていうむちゃくちゃ美味い酒がある』という電話をかけてきたハマちゃんに『今どこ?』と聞くと『家の前』だと言う。玄関を開けるとジンの瓶とトニックウォーターをスーパーの袋に入れたハマちゃんが立っていた。ぼくはこの日、初めてジントニックを飲んだ。ハマちゃんが言う通り、本当に美味かった。ハマちゃんは凄いな、こんな美味い酒を知ってるんやな、凄いなこれ、洋酒は凄いなと、たぶんぼくは一生分の「凄い」をあの日言い切った。15分後にはジンが無くなった。何故かぼくとハマちゃんは柔道の受け身をエ~イ!ヘ~イ!と言いながら繰り返していた。酒の加減が分からなかった。柔道の受け身をエ~イ!ヘ~イ!と言いながら繰り返したのが最後の記憶だ。翌朝、トイレの前で起きた。ハマちゃんは泥のように眠っていた。確かカップヌードルだかどん兵衛だかを2人で食べて、ハマちゃんはフラフラになって帰って行った。以来ぼくはジンを一滴も飲めくなってしまった。高2の夏を迎えたハマちゃんは、まだ童貞だった。



それからハマちゃんとの記憶はほとんどない。ぼくが音楽やバイクに熱中して、アルバイトに精を出して、ぼんやり家計を助けたりして、勉強もそこそこして、思春期特有のジットリとした恋愛をしているうちに、なんとなく連絡を取らないようになっていた。大学生になった頃、ハマ妹に会う機会があった。高校の指定カバンを譲って欲しいとかいう内容だったように思う。今はどうか知らないけど、当時うちの高校の指定カバンはカワイイと人気だった。『ハマちゃん最近どないしてんの?』と聞いたら、『お兄ちゃん沖縄いるで』とハマ妹。どうも、沖縄でスキューバの資格を取っている最中らしい。ゆくゆくはインストラクターになるのだという。それを聞いてぼくはとてもハマちゃんらしいなと思った。急に思いついて行ったんだろうなと、安心した。ハマ妹にカバンをあげてからもう10年が経った。今もハマちゃんとは連絡が取れない。ハマちゃんからも連絡はない。風のうわさで、沖縄で結婚した、みたいな話を聞いた。結婚とハマちゃんは全く結びつかない気がしたけど、きっとハマちゃんはそろそろ落ち着きたいとかそういう効用倫理めいた考えじゃなくて、『したいからしたんじゃ!!!』ということなんだろうなと思ったら合点がいった。ハマ妹もいつの間にか結婚して子供が3人いた。兄妹そろって性欲が強いらしい。



「学校」という場が面白いと感じたのは中学の時くらいで、それはそれを彩った人たちが奇人で、しかもぼくはその人たちと何の先入観もなく付き合いが出来て、だから面白かったんだろうなと今は思う。高校という場は無味乾燥という言葉がぴったりだったし、高校以外の場所が面白かった。大学は生活のいろいろがグシャグシャになって、それが面白かった。今はなんでもかんでもわりと面白く感じるから、立派な感性になったものだなと思う。思い出はいつもたまに取り出して眺めて、そして仕舞うだけのものだけど、今ここで書いたハマちゃんとの思い出もぼくの感性のひとつになっていることが分かって、とても満足した。こんなバカみたいな14歳の思い出でも、例えば最近の出来事でも、確実に脳みその中に残って、今とこれからに作用していくわけだから。





by ahoi1999 | 2016-07-05 01:01 | 思い出 | Comments(0)

赤い自転車

6歳の誕生日に自転車を買ってもらった。この日突然あらわれて、ケーキでも持ってきたのかと思いきや手ブラ、家族そのものに無関心かつ無頓着なあの祖父が、急に思い立って『自転車買うたろう』と言い出した。祖父は思いつくと即座に行動しなければ気が済まない人だったから、次の瞬間にはもうドアに手がかかっていた。母は『お父ちゃん、それ今?』と呆れた顔で言った。ざるそばの麺を箸で持ち上げてつゆに浸すのも一苦労な人なのに、とにかくせわしないのである。8歳くらいのころ、祖父の思い付きで行程もわからないまま他人に道を尋ねつつ、電車とタクシー(祖父は何でもかんでも「ハイヤー」と言っていた)を乗り継いで舞鶴港まで行って船を見たことがある。そしてその帰り道に『山登ろか』と言い出して、名前も知らない山に登った。さすがに辟易、閉口、脱力である。人目をはばからず、道端に落ちていた木の切れ端を拾い上げ、それを杖代わりにしながら登山していたから、とても恥ずかしかった。衝動を抑えきれずに後先の考えなく行動するのがあの人の特徴だし、ぼくにもそんな「け」が、ややある。



ものの5分で、当時母と住んでいた団地の外れにある、古くからやっているような自転車店に行った。自宅兼店舗の、土間で商売をやっているような店だった。その店先に、ひときわ鮮やかな、赤い自転車があった。今でこそ自転車は気軽に買える値段になったけれども、1990年代初頭は違った。5、6万はしていたと思う。子供心に引いてしまった記憶がある。けれども、6歳のぼくは、遠慮より物欲が勝っていた。『どれにするんや』『これがいい』そう言ったら祖父は、『ほなこれで』と店の人に言った。スラックスのポケットをパンパンにしている2つのガマグチを取り出して、一方からは数枚のお札を、もう一方からは小銭をジャラジャラ言わせて取り出した。手の平でゆっくりと小銭を数えながら、祖父は支払いを終えた(思い付き人間のわりに動作は非常に緩慢で、じじ臭いのである)。



ピカピカの赤い自転車には補助輪が付いていた。ガラガラガラガラ、よくもまあ、うるさい自転車だった。運動には縁遠い人生を送ってきたので、補助輪はなかなか取れなかった。あれは7歳の冬だったと思う。補助輪なしで乗れるようになろうということになった。もう周りの友達はみんな補助輪を卒業して、ぶんぶん走り回っていた。彼らのサウンドは非常にサイレントだった。ぼくはずっと、ガラガラガラガラ。子供心に格好悪いと思っていたから、きっとぼくが練習に付き合ってくれと言ったのだろう。雪の降るなか練習をした。当時住んでいた団地は刑務所の跡で、とても敷地が広くて、とても長い直線があった。そこをぼくは全力で漕ぎ、後ろの荷台を母がこれまた全力で押した。1日みっちり練習したら、ひとりで乗れるようになっていた。やっぱり補助輪は足かせみたいなものだったようで、そこからぼくは自転車を漕いでいろんなところへ行った。中学生のころエロ本を買い求める為に10キロ離れた街までチャリで行ったことがあるのだが、もしも7歳の時点で補助輪とオサラバしていなかったら、こんな酔狂な真似は出来なかったと思うし、思春期の性欲が爆発してどうなっていたか分からない。金玉と共にぼく自身破裂していたのではないか。これは本当、母に感謝である。この10年後には単車に乗って、12年後には車に乗って、それこそ思い付きで出かけたりした。ぼくの中であの赤い自転車は、とてもエポックメイキングなことをもたらすモノだったんだなと今になって思う。補助輪が取れた当時、ぼくは7歳で母は29歳。もうぼくはあの時の母の年齢を越えようとしているわけなんだけど、誰かの荷台を全力で押すようなことはしていない。



人間ひとりを相手にすることはとても根気がいるし、これはみんなよく知っていることだと思う。相手にされる側の気持ちも、十分理解できるだろうと思う。大人になった今でもそう思うんだから、相手をされる側もする側も、つまり受け手も送り手も、考えていることや感じたことは一方通行になりがちだし、お互いの人間的な成熟度なんてあまり関係のないことなのだろう。ようはパーソナリティの問題なのだ。陳腐な言い回しだけど、相性の問題とも言える。一方通行で注がれるまなざしが成立するのは、親子関係くらいなものではないだろうか。フーコーの著作に『牧人はたった一匹の失われた羊をさがすために群を見捨てなくてはならない』という一節があるけれども、ほとんど誰も、牧人になることは出来ない。牧人と羊という関係性に相似なのは学校教育の場だけれども、経験上、先生と生徒の間柄でそんなことがあっただろうか。みんな決して牧人にはなれない。ならぼくは、あの赤い自転車の、補助輪のようなを生き方をしたい。例えば補助輪の取れたチャリンコですーっと現れて、久しぶり、どうしてた?みたいな関係っていいなと思うから。




by ahoi1999 | 2016-06-22 00:55 | 思い出 | Comments(0)

デートの話(いきなり肉弾戦を仕掛けてくる女の場合)

去年の今頃は人生でもう無いくらいに色んな女とデートしてて、色んな人間性のあり方みたいなのを間近で見ることが出来てかなり楽しかった。いきなり肉弾戦を仕掛けてくる女とか、立ち入ることができない内面を持っている人とか、とにかく各人各様の生き方がそこにはあって、まさに感心の一言だった。今日はそのうちのひとつを書いてみる。



いきなり肉弾戦を仕掛けてくる女(25)は、兵庫で司書をやっていると言っていた。一度転職を経験していて、前職は介護福祉士。どう大目に見ても相席スタートの山﨑ケイ(芸人)を若干シュッとさせた感じのフェイシングだったのだが、常日頃から人間性について偉そうに講釈を垂れている手前、ぼくはこの点まったく問題が無かったと言い切りたい。いや言い切る。人間どう逆立ちしても自らのブスを美男美女には出来ないが、それとて人格も同様である。ぼくだってブスである。ブスがブスとデートして何が悪い。



で、ブスとデートをした。大阪の本町に、一口アイスクリンを食べさせてくれる店があるというので、そこへ行こうということになった。ブスは兵庫の山に住んでいた。山﨑ケイ似のブスが山から下りてくる。それだけで笑える。一口アイスクリンは想像通りの味で、特段美味くもなかった。ケイとふたりで話すのは初めてだった。山﨑ケイはしきりに『来月香港に行くんですよ。』という話をしていた。行ったらよろしい。ケイはとにかく話が面白くないのだけれども、わざわざ山から下りてきたのだから、ぼくは持てる全ての引き出しをあけて、中身をグチャグチャに放り出して、全力でぶつけた。ケイが面白くないならぼくが面白くするしかないじゃないか。ケイは満足げな表情を浮かべ、『わたし心斎橋行く!』と言った。子供の様な返事である。心斎橋は人でごった返していた。



ぼくは人ごみの中では反射的に手を繋ごうとする癖があるのだが(バトンタッチの時みたいに右手が後方に伸びていることがあるのだけれども、それだ)、何か嫌な予感がして、右手をグッと押さえていた。嫌な予感は的中した。ややハト胸かと思われる左乳を全力で押し当てながら、右腕に絡み付いてきた、ブス。背筋が凍るというのは、こういうことを言う。そして一言、『ねえ、お酒飲みたい』。出た。『ねえ、お酒飲みたい』が、出た。瞬時に脳が高速回転する。ただいまのお時間は17:00。こういう時は2歩先を読むべきだ。選択肢は二つだ。考えるべきことは、ぼくが6時間後にケイと何をしていたいかだ。コンマ数秒の早さで首を右下方にひねり、ケイの顔を見る。どう大目に見ても相席スタートの山﨑ケイ(芸人)を若干シュッとさせた感じのフェイシングだ。やっぱりそうだ。結論は出た。ケイでは無理だ。勃起をしないのだ。いや、勃起をしないことは女性に対して大変失礼にあたるのだから、この場合、断るのもやさしさである。



歩を進めすぎてぼくとケイは千日前まで来ていた。ややこじゃれた居酒屋に入った。これが決定的な失敗だと気付いたのは17:05のことである。カップルシートが、あった。絶望のカップルシート。これほど、おもてなしの心、ホスピタリティの発露を恨んだことがない。致死量のおせっかいである。まったくもって、善意の押し売り。これはもう白旗、失意のご着席である。ケイはやたらと上機嫌で、酒を頼んだ。どんどん強い酒を頼む。『あんまり飲めないけど♡』との言葉と同時に、殿ォ~~!!二の丸が落ちまする~~!!という野武士の叫び声が脳内にこだました。どんどん密着してくる体は過荷重の域を超えている。こんなもの、ここがメーカー工場であればウェイトチェッカーのエラーで製造ラインから自動排出だ。高圧エアーでプシュと排出されて、検品行きである。誰かこいつを検品してやってくれ。ことここに至り、三の丸が陥落、肩に折れ矢の刺さったぼくは、もうなるようになれと思った。



ケイは、ビール、ワイン、焼酎、日本酒と酒を飲み進め、赤くなった顔で聞いてきた。『次どうする?』。出た。『次どうする?』が、出た。瞬時に脳が高速回転する。ただいまのお時間は20:00。こういう時は2歩先を読むべきだ。選択肢は二つだ。考えるべきことは、ぼくが3時間後にケイと何をしていたいかだ。コンマ数秒の早さで首を左横にひねり、ケイの顔を見る。どう大目に見ても相席スタートの山﨑ケイ(芸人)を若干シュッとさせた感じのフェイシングだ。何度見ても変わらないじゃないかバカタレ。ここで『帰ろっか』と言えば、いきなり左脇腹をブスリとでもいかれそうな、そんな表情である。ぼくはまだ死にたくないなと思った。折衷案としてカラオケを提案した。ヤケクソのぼくはふだんカラオケで歌えないような訳の分からない曲をきっかり1時間歌い続けた。帰り道、ふたたびハト胸を押し当てながら腕を絡めてきたり、強引にホテル街方向へ誘導しようとするケイの試みを見事に排除した。池田先生大勝利です。今日ぼくは、初回のデートで好きでもないブスに迫られましたが、勃起どころかセックスすらしていません。ノーモア・キンマンコ。



ぼくはその日、ほうぼうの体で帰宅した。直後、ラインが来て、『付き合ってください』と言われたが、もちろん、当然、お断り申し上げた。「本の虫」を自称するのなら、あとほんの少し知的で、なんとなく機微を理解して、遠慮があれば、良いのになと思った。口には出さなかったけど、心の中で邪険にしてゴメンネ、と、ほんの少しだけ思った。





by ahoi1999 | 2016-05-18 01:04 | 思い出 | Comments(0)

悲しいセックスの話

セックスの時に名前を呼び間違えられた経験がおありだろうか。バカ言っちゃいけない、そんなのは有り得ない、2chのまとめでならそんな話を読んだことがあるけど、とみなさんは思うだろう。否、である。まだまだ経験が足りないと言わざるを得ない。ぼくは、ある。はっきり言う。『ああ~~ツタヤマさんのちんぽいい~~!!』と言われたことがある。誰だ。誰なんだツタヤマ。ぼくの名字とは1文字もかすっていない。ぼくは泥酔している女に訊いた。当然、心は「無」である。森の先の開けた草原で、一瞬のそよ風を感じたような顔である。『カメラ、んんっ、カメラマンのぉ~!!』ツタヤマは、カメラマンであった。違う、ぼくは、マーケッターである。女は、ひどく酒に酔っているようだった。『大丈夫大丈夫、わたし、空気読めるから~~!!!!』女は、まったく、空気が読めない人だった。これで空気が読めると言うのならば、人類60万人が空気を読めることになる。近所の有名な頭狂人も、空気が読めることになる。とにかく分かったことは、①ツタヤマのちんぽはいいと言うことと、②ツタヤマはカメラマンで、③女からしてみれば空気を読まなければならない男だった、と言うことである。その後、全裸のまま女は寝てしまって、ぼくは風邪を引かないようにと毛布と布団をかけてやり、体育座りで寝た。自分で言うのもナンだが、ぼくは、わりと優しい男なのである。けれども、優しいだけではダメなのであった。名前に「優」の字が入っているから、行動にバイアスがかかるのである。30を目前にして、自分の名前をかなり罪な名前だと実感した一夜であった。


過去、別の女に、あなたのプレイスタイルは「甘い」と評されたことがある。今だから分かるのだが、その意味するところは、「スウィートと手ぬるいを足して割った」ようなものであった。けれど、その時ぼくは、悪い気がしなかった。それでご満足頂けていると確信していたからだ。しかしながら、次の瞬間、反面これは、荒々しさを求める女にはそぐわないものなのだと痛感する。『首、首ぃ~!首締めて、ねえ!』とんでもない膣狂いが居たもんだな、と思った。膣狂い(ちつぐるい)である。特殊な技巧を用いたセックスを要求されるのである。急場の仕様変更である。本来であれば断るべきものなのだが、ぼくがいつも言うところの、「セックスとはさせて頂く精神の発露である」と言う自分ルールの適用で、これをしのいだ。奉仕である。触らせて頂く、揉ませて頂く、入れさせて頂く。セックスとはさせて頂く精神の発露である。これは哲学だ。ひとつのセックス哲学なのだ。ぼくは、ほんの少しだけ、要求に応えた。『アアア~~』と、なんとも言えない、膣狂い(ちつぐるい)の咆哮が部屋にこだました。


体の相性がいいと言うのは本当に大事なことなのだとここで言っておきたい。読者のみなさんも、きっとそう思うだろう。人様のご経験に関してぼくがとやかく言う筋合いは全然無いのだけれど、もしぼくのようなご経験が無いのであれば、是非そのぼんやりとした「体の相性がいいと言うのは本当に大事なことなのだ」と言うことを、上記2つの短いエピソードを読んで、実感して頂きたい。また、単に「体の相性がいいと言うのは本当に大事なことなのだ」と言うことは、気持ちいいとかそうではないと言う話に留まらないのだ、と言うことも併せて申し添えておく。ツタヤマの事例でも分かるように、セックスは、単なる肉と肉のぶつかり合いではなくて、肉体と精神の殺し合いに発展する可能性も秘めたエクストリームスポーツなのである。単なる肉と肉のぶつかり合いを求めるのであれば、相撲で充分である。しかしながら、セックスは相撲ではないし、ぶつかり稽古でもない。相撲みたいなセックスがあるなら、もはやぼくは肉弾となるしかない。C70(右)のお山とC70(左)のお山を陥落せしむるべく突撃、あえなく散って、二階級特進である。せめて後方陣地に効力射を要求したいし、事後、ホックは真ん中でよかったですか?と言いたい。セックスは、たとえ一夜の関係だったとしても、その瞬間だけは、相手のことだけを考えてやって頂きたいものだ。畏れながら、70年前に発布された『紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず』と言う詔の一文は、まことに真理を突いていると言わざるを得ない。だからぼくはここで、女はよく悲しいセックスの話をするけれども、男にだって悲しいセックスの話はいくらでもあるんだぞと言うことを、声高らかに宣言するのである。



by ahoi1999 | 2016-04-25 01:19 | 思い出 | Comments(0)

2015年の音楽(に、まつわるエピソード)

去年、単に聴いただけの音楽はいろいろあるんだけど、エピソードめいたものとかと一緒に話せる音楽はあまり無かったなと思ったので、そのことを少し書きます。再生しながら読んで下さい。




The Bed Town - 会えなくなるんだね

初期くるりがとても好きで、逆にそれしか知らないんだけど、あのテイストの曲をそこらへんの音楽やってる少しへたくそな人が作るとこうなるんだなって曲。でもね、いい曲だと思う。ほとんど未練がましい情けない男の話なんだけど、こういうしみったれた内容は好き。それで、あ~この曲いいなと思って女友達とかに『これよかったよ。』って夜中の1:30くらいにラインでyoutubeのアドレス送るわけなんだけど、返ってきた返事が『お前ふられたな~笑』だったりするわけ。いやおれはそんなセンチメンタルキャラじゃない、だいたいその嘲笑ぶりはもしかして去年振ったことを根に持ってのことなの、とかいろいろ思う(思い上がりだな)。天満の細い路地を入ったバーでウイスキー飲んでベロベロに酔っ払っておれんちで一夜明かして、でもおれがなんにもしなかったのは紳士だからじゃなくてこの関係が友情だからだよっておれは一方的にそう思ってる。お前はどうか知らんけど。




INNER LIFE - I've got to find me somebody

家でひとりの時は色々なことを考えて頭がこんがらがってくるので、景気のいい曲を聴いて色々なものをパーッと解放してみる。どうにもならんことを考えていたって、どうにもならないでしょって感じにさせてくれる、いい曲です。ジョセリン・ブラウンていうニガーのオバチャンはとってもとっても歌がソウルフルで、好きなボーカルのひとり。ソロで「Somebody Else's Guy」っていう超有名曲を出してたりするけど、なんせ良いよね。70-80'sディスコの金字塔だと思う。フィジカルに作用する曲はたくさんあると思うけど、底のほうから沸き立ち上がってくるもんていうのはなかなか無いし、こういうもんを聴いてメンタルにリソースを割かないことも大事。なんでも考えすぎはよくない。考えちゃうけど。




キセル ‐ ハナレバナレ

もうこういう気持ちになることはないよなって思ってたけど、なるんだよなあ。









Zazen Boys - Asobi

22:00ミスドにて
先輩『お前もさあ、一発キメましたとかないの?かいちゃいましたとかさ~』
おれ『かいたエピソードなんかないですよ。スターウォーズちゃうんすから』
先輩『だってメシ食いに行ったりとか遊びに行ったりとかしてるわけやん』
おれ『別にかくことが目的ちゃいますからね、それ』
先輩『なんでーや、かこうや』
おれ『アホか』
先輩『申し訳ございません』
おれ『そりゃ即ハメできるとか乳デカイとか顔かわいいとか、それに越したことはないですけど』
先輩『越したことはないな』
おれ『それより合う合わんの方が大事でしょ?』
先輩『ほう』
おれ『それとか、なんか無性に会いたくなるとか』
先輩『震えるわけや』
おれ『会いたくてね』
先輩『トリセツ的なあれで』
おれ『そう』
先輩『お前がわりと真剣なんは分かるけど辛気臭いわ』
おれ『いや、それほんと、全くおっしゃる通りで』
先輩『あー抜きたいなー行こうや』
おれ『あんただけで行きなはれや』
先輩『冷たいなあお前は。ホンマ』




七尾旅人 - どんどん季節は流れて

休みの日の夕方、網干行きの新快速に乗って、高槻-新大阪あたりを走っているときにふいに夕日が差したりして、外は歩いたことのない住宅街がすーっと流れていって、ちょっと寂しい気がする、そんなシーン。あるいは、梅田行きの阪急電車に乗って、ちょっと疲れてて、あー座れたねなんて言いながら、外はもうとっくに暗くなってて、油断したら眠いくらいの、そういうシーンかもしれない。そういうときに、七尾旅人がふいに流れる。終わりが見えてるのに終わって欲しくないこととか、満たされているのに満たされていない感じがするときとか、「今をずっと続けるためになんにも言わない」みたいなセコくて情けない気持ちになったとき。一人より二人の時のほうが、なんかしみじみするのは、なんでだろうね。




bronbaba - 雨の日

精神的にマジであぶない時期がたまにあって、そういう時はもっぱらbronbabaを聴いて、まあとにかくそれでなんとかなる。仕事が超忙しい時とかもちろん精神的にも来るんだけど、いちばんヤバイのはひとりで家にいて眠くもなくて、今までの自分とかこれからの自分とか周りの人たちのこととか色々なことを考えていて、平凡な善人でありたい自分と我を通したい自分の中でどんどん矛盾が生じてきてアー生きるってのは大変ダナーとなった時。あの人にはこれがベストだなと思う対応をした時に、実際はそうじゃなかったりするとウワーごめんなと思うし、けど一応めちゃくちゃ考えた結果そうしたんだからおれの気持ちも少しは分かってくれやーとか思う。さっきからフワフワしたことばかり書いてるけど、ようは人間に対して臆病だから、こうなる。今年は面の皮を厚くするのが目標だよな。




スーパーノア ‐ 飛行船

例えば好きな女に会いに行くときとか、なんか今回は何か成し遂げたな感あるときとか、部屋がすげー片付いたなとか、心が半分「無」になっててよくわかんない高揚感があるとき、いつも聴いてたように思うし、これからも聴き続けると思う。言葉はあんまりいらないような関係が好きだけど、そういうわけにもいかないから、意味するところが一つしかないような言葉で話そうと思う。心はなんにも話さないし、自分もよくわかんないし、ましてや他人なんてもっとわからないんだから。




自分にしか分からない日記みたいな感じになってしまったけど、曲はいいので、聴いてみて下さい。
エピソード思い出したら、また書こうと思います。

by ahoi1999 | 2016-01-03 20:50 | 思い出 | Comments(0)

夏の思い出

これといって、夏っぽい夏の思い出がない。そもそも祭りが好きではないことが大問題である。御輿に出店、打ち上がる花火。ぜんぶ嫌いである。何をするにも人が多すぎる。ものを買うにも、トイレに行くにも、待ち続けなければならない。浴衣を着て「帯がしんどい。足が痛い」を連発する女にもうんざりである。雰囲気が楽しいんだと言うならバーチャル3Dで楽しめばいい。もしくは部屋でやれ。お前の部屋をお祭り騒ぎにしてしまえ。お部屋でワッショイだ。ケンカもいいぞ。祭りって感じがする。出店の呼び込みもぜひ頼む。1時間ほどで現れるパトカーがお前の御輿だ。


小学生の夏はつねに宿題と共にあったし、中学に上がれば水泳ばかりやっていた。体重50キロの締まりきった体になった中3の時に初めて彼女が出来た。そしてその年のお盆のころ、彼女と地元の小さな花火大会に行った。花火はあんまり好きじゃないが、手をつなぐだけで勃起していた中学生には誘惑そのもののイベントであった。とても小さな花火大会は、勃起をしている間に終わってしまった。「ね~~今日ウチ親おらんっちゃ。だけんウチ来ていいよ!」と言われた。彼女は福岡からの転校生だった。カッチンカッチンになった童貞の股間と中学生の脳味噌を掛け合わしたらどうなるか分かりますか。ああもうこの浴衣?浴衣をひっぺがして?えっ、マジか!エーッ!バーーーーーン!となるのであります。その後の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだが、プリクラを撮って帰って即オナニーしたことだけは覚えている。結局童貞には何も出来ない。全てに無力なのが童貞である。


私の周囲の人達はとても性的な夏に恵まれている。霞ヶ浦でキャンプ中に女子美大のチャンネーをナンパしてラッキースケベに至った先輩や、神戸の花火に誘った女性を射止めてアーンとなった先輩。古墳(1500年くらい前)の斜面で青姦して全身蚊にかまれた友人や、毎年夏になると狂ったように東南アジアへ女を買いに行く友人。私にはあんまり派手な夏はない。もうとっくに童貞ではないけれども、気温の高さで開放的になるたちでは無いのだろう。クーラーを効かせた部屋で、アイスコーヒーを飲んで、タバコを吸って、音楽を聴きながらマンガを読む。そういうのが私の夏。なにかをしているようでなんにもしていない夏が毎年過ぎていくだけなのである。元来がどうしようもない根暗であるというただ一点だけが残る。ひとつ急に思い出したのだが、中2の夏くらいにオナニー何回まで出来るかやってみたことがあって、6回目くらいで痛くなってやめた。無心であった。あの頃、テレホーダイの開始時間だけを待っていた。夏はいつもそういう風にして過ぎていく。


入社から数年が経ち、もう若手社員と言えるか言えないか微妙な立ち位置になった現在、夏はまったく暑いだけである。ただただ暑いだけの季節が夏である。逆に、ただただ寒いだけの季節が冬である。それ以外が春と秋である。これ以外に形容の方法があれば教えて欲しい。ホワイトカラーと言う名の頭脳労働者となった現在、季節は季節としての本質を取り戻した。いや、季節の本質に気付いた。気付かされた。とても端的にいえば、季節とは、気温の変化である。夏は暑い。向井秀徳だって言ってただろう。ファンだったら分かる。お前は分かる。お前は分からないな。知ってる人だけが知っていれば良い事だってある。教えてくれと乞うてくる奴に限って、親切心で説明してやったら「ふーん」だ。何が「ふーん」だ。うんこ塗るぞ。顔に。「うーん」だお前なんか。うんこのうーんだ。バーカ。


そういえば、曾祖母の葬式で母から「あーんして。あーんて」と言われ、葬式初体験だった幼い私はモグサを食う動作をした。あーんとは拝むということだ。場内からは笑いが起きた。小さな子供の間違いにみんな微笑んでいた。私はどうしようもなく恥ずかしい気持ちになった。曾祖母が亡くなったのは92年くらいだから、とても古い恥の記憶である。生前の曾祖母は、「わてはアホやさけ、せめてお国のためになりたい」と言って献体を希望していた。献体証明書のようなものが仏壇の横に今でも置いてある。明治生まれで高等小学校まで出ておいてアホでもなんでもなかろうと思うが、アホなんだそうだ。母は献体先の大学病院の前を通るといつも泣いていた。結局、献体して何がどう役立ったのかはよく分からないが、何か曾祖母なりに果たせていたら良いと思う。これは蛇足だが、あの大学病院で実習していた医学部卒の元カノ、子供が産まれて元気にやっているそうだ。




by ahoi1999 | 2015-08-04 01:25 | 思い出 | Comments(0)

ケツ、あるいは排泄行為について

30歳まで残すところ数百日となったいま、恥の総決算をしよう。生粋のマザコンとして生きる私は、小学校低学年まで母にケツを拭いてもらっていた。比喩表現でもなんでもなく、そのままだ。ウンコを拭いてもらっていたのである。小2の私は当時の我が家であった公団住宅の、無機質なトイレでウンコをする。そして絶叫する。『オカァチャ~~ン!?ウンコ出たよ~~~!!?』そう言うや否や、母が『あーはい、お尻あげて!ホレ!』と雑ながらも完璧にケツを拭き上げてくれる。会社では上司に偉そうな口をきき、取引先にはこびへつらい、後輩には説教を垂れる私、この私は、ほんの20年前までひとりでウンコが出来なかった。私は、己のプライドとクソの拭き漏らしを天秤にかけたのである。汚れたブリーフで叱られるのはもう嫌になった。結果、『オカァチャ~~ン?』なのである。私には夜グソ癖があるのだが、ここから来たのではないかと思っている。母は働いていたので夜しか安心の排泄を行えないからだ。なお、今回のテーマは恥の総決算であるから、今のところ何も怖くはない。

中学から、深刻な切れ痔に見舞われていた。いまなお脈々と続く、伝統の切れ痔の始まりである。あの頃水泳部だった私は、とにかく食べる量がハンパなかった。食べる量がハンパないということは、出る量も半端ないということだ。一回がとてつもなく多い。出物は色艶よし。太く、そして長い。作物であれば高値である。食べる回数も多いから、回数も良く出る。二期作、三期作、裏作、三毛作である。作物であれば十分な収量が約束される。つまり、拭く回数が多いというのは致命傷だった。以前、祖父が重度の脱肛だった話は書いたと思うが、切れたとか切れていないとか関係があるのか分からないけれど、結局私もちょっぴり脱肛です。幾千夜のセックスにおいては、ケツを死守いたしております。

10年ほど前は、祖父の介護をしていた。ご他聞に漏れず、痴呆であったので、下の世話には難儀した。祖父もプライドがある。私に言うのだ。『なんか、黒いモンが出てきよるんや』。じいちゃん、それはウンコや。それはウンコを漏らしたんや。誰もが通る道である。そうか~ほなパンツ換えようか~と言いながら換えるわけである。もちろん、パンツでなく大人用オムツなのであるが、彼にもプライドがある。この頃はまだ知る由もなかったが、年々ゆるくなる便に『お~今回はまたええ感じですなぁ~』などと思いつつオムツを換えていた。後年発覚する直腸がんの影響も少なからずあったのではないかと今更ながら考える。こんな死人の蛇足、読んでいただいている方とTPOには申し訳ないが、晩年の祖父はカレーを好物としていた。もちろん私の好物もカレーである。

先日実家に寄った。居間には母がいて、『あんた、ご飯どうする?(ブブッ!!)お腹減ってる?(ブーッッ)』としゃべりながら屁をこいでいた。しゃべりながら屁をこくのは止めて欲しいと伝えると、彼女は『ヒーッ!(ブーーッ!!)ハッハッヒーッ!(ブビーッ!!)』と笑いながら屁をこいた。私の家族はとにかく、ウンコおしっこの話題に得意ということなのである。恥と笑いの多い家に生まれてよかったと思う。




by ahoi1999 | 2015-03-11 01:09 | 思い出 | Comments(0)

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