テルコの話

テルコとは、亡き祖父の姉のことである。今年90歳だから、大正15年の生まれということになる。日本では若槻礼次郎が首相をやっていて、中国では北伐が始まって、ヨーロッパのほうではアガサクリスティが失踪した年だ。曽祖父と曾祖母はその間に4人の子供をもうけるのだが、3人目に生まれたのがぼくの祖父シンイチで、対するテルコは第一子。他の二人はどちらも女である。つまり祖父は唯一の男。こんな家族構成だから、曽祖父と曾祖母は祖父には甘く、テルコには厳しかった。当然、祖父とテルコは生涯折り合いが悪かった。テルコは甘ったれで要領の悪い祖父をいつも馬鹿にしていて、馬鹿にされた祖父は黙って下を向いていた。そして祖父は、夢の中でテルコを2階の窓から放り投げたりしていた。何故知っているかと言うと、祖父が寝言で言うのである。『テルコぉ~~コノヤロウ~~!!2階から放り投げてェェェ!!ア~~~!!!』でも本当にいつも祖父はテルコに迷惑をかけていたし、黙って罵倒に耐えるしかないのである。祖父がやっていた本屋が火の車になって倒産したときもその借金の穴埋めはテルコがしたし、曾祖母がボケたときに『わしには出来ん』と言って実母の介護を放り出した祖父を叱責して曾祖母を引き取ったのもテルコだった。曽祖父亡き後は、テルコこそ当家の家長だったと言うべきである。



テルコはとにかく負けず嫌いな人だ。大正生まれのポスト即身仏の間では未だにホットワードらしい「高女」、つまり高等女学校に進学したのも、とにかくひとに負けたくない一心の結果である。ひとに負けたくない。負けないためには努力しかない。テルコをそういう性格にしたのはどうやら、曽祖父が原因のようだった。テルコは言う。『高女で2番なんや。わたしは。そやねんけどな、奈良の女高師をな、受けさしてもくれへんねんや。』一字一句覚えているほど、何度も何度も聞かされた話である。70年以上前の恨み節が21世紀にこだましている。つまり、テルコは今で言う大学受験をさせてもらえなかったと言っているのである。さらに続けて、曽祖父はこう言ったのだと、口真似をしながら言うのである。『大津高女で2番でもな、県に高女は10ほどあるわ。1番と2番の人間が20人おるということや。これが全国になってみい、何人になる?奈良女の募集は何人や?それでも受かるんか。』テルコは先生になりたかった。そのためには女子高等師範学校に行かなくてはならなかった。しかしながら当時、官立女子高等師範学校は東京と奈良にしかなかった。つまり、曽祖父のいうことも正しかったわけだが、ここまで鼻っ柱を折らなくても良いのではと思う。曽祖父はテルコに対して万事こんな調子だったのだそうだから、テルコの性格も自然、「実力で有無を言わせる」タイプになった。中高生だったぼくには当時よくこう言っていた。『勉強がでけへんて、そないなもんな、したらええんや。何べんでも。わたしはしてきた。普通にやってアカンのやったら寝んとやるんや。少々のことで死ぬかいな。ナニクソ、こんなもんやったる。それでいかなアカン。』ちなみに、テルコは80歳の時、ぼくと同じ大学でいくつかの講義を受けて単位を貰い、成績表をぼくに見せながら『全部Aもろたわ。アンタより優秀やな。』と言って喜んでいた。若いころ大学で学べなかったから、今行ってやる。負けず嫌いもここに極まった。



自称『勉強ができた』テルコには、戦時中の暗いエピソードなど全くない。『学徒動員かてな、工場ちゃうんや。司令部で赤紙を打ってな、ほれを送ったりしてたわ。』ドヤ顔ではなく、まさに選民の表情をする老婆。わたしはエリートだから司令部勤務なんだと、自慢げである。祖父が『重ったい重ったい真空管の箱を持たされてやな、しんどいしやな、憲兵には怒られるし、爆弾はドーン言うて落ちるし』と言っていたのとは正反対の動員生活である。やがて敗戦を迎えた後、その司令部はGHQに接収され、進駐軍のいわゆる地区司令部となった。戦時中の英語教育は無かったなどと言われるが、当然『あった』し、『勉強ができた』から、その英語力が買われてテルコはそのままGHQの高級将校付の秘書のような仕事を同じ場所で昭和20年代の半ばまでしていた。ある日、ひとりの将校が『ヘイ、これ飲みなよ』と言って瓶のコーラをくれた。黒い三ツ矢サイダーのようなものかと飲んでみたら、ひとくちめでその異様な風味と甘ったるさに思わず吐き出してしまった。それを見た将校は指をさして笑い転げ、『テルコはコーラも飲めないのかい?ハハハ』と言ったんだそうだ。アメリカ人相手といえども自分を曲げないのがテルコ流である。またここでも負けず嫌いが出る。それから将校クラブに行って、毎日毎日コーラを飲んだ。一日一本、必ず瓶のコーラを空ける。戦後の食糧難など無縁である。テルコにとってコーラは、めったに飲めない甘いジュースなどではなくて、克服すべきハードルにしかならなかった。そして90歳になった今も、テルコはだいたいコーラを飲んでいる。



GHQ勤務時代、テルコは恋に落ちる。その時テルコは21、22歳くらい、相手はGHQ将校である。その頃テルコはとにかく毎日が楽しくて、最高だった。赤いハイヒールをはいて将校クラブのダンスパーティに行ったりしていた。いわゆるダンパである。フランク・シナトラのスローバラードで、意中の将校と踊ったりしていた。込み入った話まではついぞしてくれなかったが、どうやら相当いい感じだったらしい。でも、『お父さん、許してくれはらへんと思って。だって、外人さんやんか。』との思いに至って、ちょうどその将校が本国に引き揚げするのも手伝って、お別れをしたんだそうだ。それでその時、将校からバラの苗木をもらった。当時の心境は分からないけど、そのバラを家に持ち帰ったテルコは、庭の地下防空壕跡を埋めて、花壇を作った。そしてそこに、バラの苗木を植えた。かつての敵国の将校と恋に落ちて、厳格な父に気後れして恋が終わって、恋人の国の爆弾から自分の命を守るために作った防空壕を埋めてすっかり花壇に作り変えて、そこに恋人がくれた最後のプレゼントであるバラを植えて、成就しなかった恋を永遠に愛でようだなんて、とんでもなくロマンテックだと思う。そのバラは、それから毎年咲いて、50年経った2000年代になっても綺麗な花をぼくに見せてくれていた。



日本が独立してから、テルコは奈良ホテルに勤める。得意の英語で、フロント係をやっていた。最後は係長になっていたから、当時の女性にしてはよく出来て、よく評価されたんだと思う。仕事に没頭していても実家のことは気になるようで、たまに帰省しては舶来物の珍しい土産だとか、祖父の子供である叔父と母にパンケーキを焼いてあげたりだとか、とびきりアメリカナイズされた「スイな」女性として振舞っていたそうだ。確かに当時の写真なんかを見ると、フレームのぶっとい特大のサングラスにワンピース、そして派手な色のハイヒールをはいてドデカいつばの帽子をかぶるというような出で立ちで、とにかく派手だし、自信に満ちていて、仕事と生活を楽しんでいることがありありと分かる。ただひとつ滑稽なのは、今でも言葉の端々に英語が出ることで、酒を飲むところは全部『bar』と言うし、誰それの妻と言う時は『〇〇さんのwife』と言ったりする。ここは一歩間違えばルー大柴だし、いい加減にして欲しいと思う。



何の拍子か、テルコは40代になってから医者に嫁ぐことになった。お手伝いさんがいるような家である。『お金は使っても使っても無くならんのや』が口癖になったのはこの頃からである。家には毎週のように百貨店の外商さんが来るし、友達もお金持ちばかりだから、とにかく旅行だ食事会だと忙しそうにしていた。ぼくが物心ついたときくらいに医者の旦那は世を去るのだが、テルコとの間に子を成すことはなかった。当時テルコは70歳前後になっていたんだけども、旦那が死んでもめちゃくちゃ元気で、衰えと言う言葉はこの人には無いなと思った。テルコには、会いに行くたびいろいろと説教された。小学校の高学年くらいから高校生までは、ひとに負けるな、恥ずかしいことはするな、勉強をしなさい、この三つを何回も何回も言われた。ぼくは頭の出来があまり良くなかったので、テルコには結構バカにされたことを思い出す。これはお恥ずかしい話だが、それこそ頭の出来の悪さが影響して私立の大学に進むことになった時、奨学金だけでは到底生活が成り立たなくて、どうしようかと思っていた時に、テルコがポンと『アンタは勉強もあんま出来へんし、大学はまあまあ中の中ってとこやけどな、おばちゃんお金貸したげるから頑張りや』とまとまったお金を貸してくれようとした。本当にありがたい話だけど、ちょっとそれはと言ったら、母がオバチャンアザーッス!と被せるように言って、結局貸してもらうことになった。学生支援機構からも借りていたので、テルコ資金と合わせるとダブル奨学金ということになる。なお、母にこの時なぜそんな流れになったのか後々話を聞くと、『アンタの学費もそやけど、実はお父ちゃんの介護費とお兄ちゃんの入院費で首回らんかったんや私』と言われてアア~マジか~~となった。確かにぼくもあの時けっこうな額を度々オカンに貸してたなと思い返してみて理解した。つまり、プライドより生活を優先すべきこともあるということだ。



いまテルコはひとり、介護付マンションで暮らしている。軽度のアルツハイマーが始まっていて、本人も『もう私も歳やさけな、自分で何してるか分からんこともあるからしょうがないわ。ボケてもうてるさけ。』と言う。以前のような凄い気迫だとか、元気すぎるところだとか、努力していないひとをしこたまバカにしたりすることはなくなって、普通のおばあさんになった。全てテルコの希望で、いまの暮らしがある。遺言も用意している。テルコが亡くなった後に残る、莫大な遺産のほとんどは、育英会に寄付することになっている。勉強に助けられ、また勉強でひとを助けようとしたテルコらしい殊勝な考えだと思う。この前、京都で親族が集まるちょっとした祝い事があって、料亭まで送迎をした時に『マア~ほんまか、大きいなったというよりか、アンタもな、もうおっさんやなあ。は~~もうそんな歳か。』と、ぼくのおっさん化にひたすら感嘆していた。途中、入れ歯を自宅に忘れたりして取りに帰るハプニングがありながらも、その健在ぶりを親族一同にアピールしていた。もちろんその日も、お飲み物は何になさいますか?お煎茶にされますか?との給仕の問いかけに対して『コーラ!』と返していた。テルコレベルになれば、懐石料理にすらコーラを合わせるのである。『ひとに負けたくないし、恥ずかしい思いもしたくない。』100歳まであと10年だから、いつまでもそういう気持ちで、長生きして欲しいと思う。




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by ahoi1999 | 2016-02-11 02:45 | 家族 | Comments(0)


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