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ファンファーレは無い

知らぬ間に始まって突然終わりを告げるものは連休と人生くらいだと思う。セックスですら事前に終わる旨の申告があるわけだから、ひどく不親切である。セックスについてはプレイスタイルにもよるけれども。気付いたら俺は連休だった。いまさら立てる予定もないし、好きなだけ寝て、実家に行って、それで終わり。残ったのは母が持たせてくれたお手製カレーとかっぱ寿司のレシートくらいである。カレーに至ってはカッチカチに凍らせてタッパーに詰めてあった。森永製菓さんがもしアイスボックスカレー味を考えているなら、母にレシピを教えてもらうといい。このカレー、「あんたーっ!コレ辛いから!気ィ付けて食べるんやで!!」という、やや絶唱に近い忠告と共に手渡された。まるで卒業式である。こんなに距離が近いのに絶叫系の忠告を受けるとは、一体どれほどの辛さなのであろうか。母は気をつけてめしを食えと言う。「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」でサルの脳みそデザートが出てきて卒倒するシーンがあるのだが、意味するところはそういうことなのだろうか。もはやタッパーの刑である。


連休といえばスーツケースガラガラ集団の大量発生が定番だ。なぜあの人たちはあのような苦難の行軍を強いられているのであろうか。長征かバターンか。疲弊しきった顔で、道など開ける様子もない。だらりと伸びた腕に引かれるスーツケース。ただただガラガラガラガラと音をたてながら進む集団。品行方正な一般人とは明らかに様子が違う。目がうつろだ。駅の往来のど真ん中で、途中で立ち止まり、阿呆のような顔で遠くを見つめて、ハトのように首をくるくると動かし、また歩き出すのである。阿呆のようなというよりも、阿呆そのものである。足らないのである。何せ、よその人にぶつかるのだ。ぶつかって、一瞥もくれない。さながらセカイ系アニメの主人公である。社会生活のタガを外してしまうことが、連休の悪いところだ。


ところで、先日トイレでショッキングなことがあった。説明をする。公衆の男子トイレというものには小便器があるわけだが、最新鋭小便器はとても間仕切りが小さく、ちんちんがもろ見えの場合が往々にしてある。通常レベルの感性を持つ男なら誰でもそうすることなのだが、人様に見せるものでもないちんちんが出来るだけ見えないようにグッと一歩前進する。ただ、前進しすぎると小便が跳ね返り、イッチョウラが台無しになってしまう。であるから、各々頃合のよい距離感で小便をするのが男のマナーである。つまり、結局ちんちんはとてもよく見える。長すぎるので本題に入ろう。私がちんちくりんの小男であることは周知の通りだ。トイレで同じような小男が私の隣に並んだ。しかし、私と違って小汚い。そして汗臭い。身なりはたいへん汚い。もうこらえ切れないのだろう、もぞもぞと股間をまさぐる。その瞬間である。「ぼろり。」ポロリではない。「ぼろり。」たいへんな重量感と共に、あの薄汚い小男のちんちんが公衆へ飛び出した。私は、愕然とした。なんと堂々たる開帳なのだろう。しかも、「ぼろり。」ときた。貴様ふざけるんじゃない。私は果敢にハゲと戦い、身奇麗にし、いつでも来い、備えあれば憂いなしの体制で日々臨んでいるのである。ところが貴様は臭い、汚い、ちんちんデカい。一体なんなんだ。私なんて、「ほろり。」だ。軽量鉄骨造だ。ふざけるのもいい加減にしろ。世の中は良くできていると言うけれども、こんなことがあってたまるか。私は、昔の女に「んっとね~~、普通。」と言われたことがある。


傷ついて来たのでそろそろ終わりにしたい。たぶん今年の夏も、知らない間に始まって、突然終わってしまうのだろう。社会人になってから、夏は暑いものだという真理のみが感ぜられる。何もしないまま終わる、働き過ぎる社会人の夏。過ぎ去った夏を思い返してみると、昔はいろいろあったように思う。私の人生で一番の夏の思い出は、中3の時の彼女と学校の音楽室でイチャついたことだ。私の幼馴染の人生で一番の夏の思い出は、山の中で青姦していたら全身蚊に刺されたことだそうだ。先輩の人生で一番の夏の思い出は、木更津でナンパした女子大生のチチを揉みまくったことだそうだ。つまり、夏は性的な青春を思い返すためだけにあるようです。ならばせめて、セクシャルな、いろいろの思い出たちを聞かせて欲しいと思う。30手前の私にはもう、夏は永遠にやってこないのだから。




by ahoi1999 | 2015-07-20 23:59 | 生活


内務省御検定済


by ahoi1999