人気ブログランキング | 話題のタグを見る

虫捕りのこと

小3の夏、親戚にもらった100匹の鈴虫を全滅させてしまった過去がある。ハンコ屋を営む親戚がとてもマメな人で、店舗兼自宅の地下室で毎年毎年鈴虫のブリーダーのようなことをやっていた。「どうや、いっぺん飼うてみるか?」と言われて、そんなに飼いたくもなかったが「うん」と言ってしまった。どうやら人の好意を踏みにじることが出来ない性格はこの頃にもう完成していたらしい。家に持ち帰って、キュウリやナスなどを何の考えも無く次々投入し、気付いたら全滅していた。その年の年末、「鈴虫どうや?」と親戚に聞かれたぼくは、「全部死んでしもた」と答えた。「うん、そうか」と言った親戚の悲しそうな顔がいまでも忘れられない。小学生が夏に飼う昆虫No.1のカブトムシだって、毎年すぐに死なせてしまっていた。8月31日と言われて思い出すのは、大量に残された宿題の山とカラカラになったカブトムシの遺骸なのである。これら一連の出来事によって、自分には犬畜生以下の動体について全く関心がないことに気付いた。

ただ、虫捕りは楽しかった。数年前ボケて死んでしまった祖父がまだ健在だった頃、よく裏山に連れて行ってもらった。朝も昼も夕方も。時には早起きして深夜に出かけたりもした。「カブトムシかて、クワガタかて、ぜんぶクヌギの木におるんや」と言う祖父の後ろを着いていく。玉虫をつかまえた時もあった。テンションのあがる祖父を前に、マリオカートの最終ステージみたいな色をした虫だとコメントするには気が引けて、「おじいちゃん、きれいやな」と言うのが精一杯だった。ボキャブラリー教育は大切だと感じる。

祖父はとにかく孫が可愛いらしく、ぼくが行きたいと言えば快く山へ連れて行ってくれた。ただ、虫ならなんでも捕まえてしまうところだけがぼくの唯一の不満だった。ある日、クヌギの木に群がるカブトムシを見つけた祖父。もう夜だったので、懐中電灯を照らしながらの探索だった。クヌギの木には蜜を目当てにいろんな虫が集まる。一番危険なのはスズメバチだ。祖父は虫捕り網を駆使してスズメバチを捕らえ、地面に叩きつけた後、執拗に踏んづける。「刺されたら、かなわん」。スズメバチも同じようなことを思っていたのではないか。年金受給者は恐ろしいぞと。スズメバチの断末魔を見届けたら、ついにカブトムシの捕獲である。祖父はどんどん虫かごへ入れていく。根こそぎである。カミキリムシもいたが、祖父はおかまいなしだ。帰宅して戦果の確認をする。カブトムシ、クワガタ、カナブン、カミキリムシ。他に見慣れないやつがいた。やたらすばしっこい黒い物体。祖父は「カブトムシのメス」と言い張って聞かないが、ぼくは湧き出る違和感を隠し切れなかった。

祖父の大便は長い。長年の痔わずらいのため、二時間はかかるのである。祖父の最晩年、入院先の看護師さんに「おじいちゃん、完全に脱肛ですね」と言われるほど重篤だった。脱出した肛門と大便とのせめぎ合い。恐ろしいほどの長丁場に納得である。そのため、トイレには扇風機、電気ヒーターを完備しているし、雑誌や新聞なども豊富だ。ぼくはこの長いトイレの間に、例のすばしっこい奴の正体を確かめようと考えた。図鑑を引っ張り出してきて、ページをひたすらめくっていた。すばしっこい奴は、捕獲から数時間経つというのに、いまだ活発に動いている。正体は、ヤマトゴキブリだった。ぼくは迷わず裏山へ走って、そいつを捨てた。次の日の昼、祖父は番茶を沸かして、大好物のメロンパンをほお張っていた。祖父の体面もあるだろうからと、昨夜のことは何も言わずにいた。孫としてこの選択は間違っていなかったと今でも思っている。

金曜の夜、買い置きのカップラーメンを食べてテレビを見ていた。ベランダの様子がおかしい。網戸の向こうから怪音である。ジリジリジリ、パサ。ジリジリ、パサ。これはどうやら、羽を持った何者かがじたばたしている。飛んで落ちてを繰り返しているようだ。こんなのは、あまりにも無味乾燥じゃないか。虫の音はもっと風流なものだと思っていたのに。後期高齢者が蚊取り線香の置かれた縁側に座り、月の夜空を見上げながらぼんやりするようなシーン。シンセサイザー的なピロピロ音ではない、生のサウンドがエモーショナルに語りかける。Jimmy eat worldも真っ青なジャパニーズバグズの世界観があったはずだ。ところが、この得体の知れない羽音である。奴かもしれない。ゴキブリの恩返しなど聞いたこともない。確認するのも億劫であるし、正体が判明したところで出来ることなどないんだ。ぼくはそっと部屋の明かりを消して、「向かいの公園に飛んでいけ!飛んでいけ!」と心から念じた。


ゆらゆら帝国 - 昆虫ロック

by ahoi1999 | 2014-06-02 01:51 | 思い出


内務省御検定済


by ahoi1999