2017年の音楽(に、まつわるエピソード)

Boredoms - Super you


2017年まで、Boredomsで新生児が泣き止むことのありがたみを知らなかった。難解な音楽を背伸びして聴いていた頃の自分に言いたい、お前はえらい。スーパールーツ、揃えておいてよかった。初夏くらいまでは一晩中眠れなかった記憶しかない。太陽が昇ってからずっと乳を吸われ続け、おむつを替え、洗濯をした嫁は、日没後、死体の如く動かない。帰宅した夫しかやる人間はいない。深夜、泣く子、不動の嫁、うさぎがイラ立ちエサ箱を蹴り倒す中、ミルクを作っておむつを替える。セックスはイージーだけど、出口戦略は必要なんじゃないですか。滝行するとか、写経とか、そういうある種の精神鍛錬ですけども。





Haywoode - I can't let you go ''Tigh & Mighty Mix''


わが子は2,000gくらいで、割と小さく生まれて来た。嫁的には『出産助かったわ~~』ということなんだけど、ぼくは内心正気ではいられなくて、絶対吐き戻すだろうなと思っても欲しがるだけミルクはあげた。新生児は呼吸が不安定だということを頭で分かってはいても、ちょっと息が詰まったように聞こえて、体も小さいし死んじゃうんじゃないかと気になって眠れやしない。だいいち、ちんちくりんの小男であるぼくは体が小さいとろくでもないことをよく知っている。だから、大きく育って欲しかった。1か月、2か月、3か月と猛烈にミルクを飲みまくっていた。あっと言う間に標準体重まで大きくなった。ぐにゃぐにゃと動こうとする様を見て安心した。暑くなってくると、授乳の頻度も落ちてきて、今度は起きてる間ずっとあやしていないと泣き叫んで大変になってきた。ひとりで動けないことに対してフラストレーションが相当溜まるらしい。まともに相手をしてずっとあやしていたのだけれど、途中から本当に頭がおかしゅうなるわと思い、夏の間はこの曲に乗せて抱き上げ、クーラーを利かせたリビングで踊り狂ってました。





Phum Viphurit - Long Gone


タイ音楽がすごいぞ!みたいな記事を読んでいて本当かよ~と思ったら本当だった。まとまった連休があるとすぐタイまで女を買いに行く友人に聴かせると、『ほ~~ん』と言っていた。性と音楽は、ぼくの中では近いものがあるんだけど、彼はそうでもないらしい。その時聴いてた音楽をあとになって聴いたりすると鮮明にそのシーンが甦ったりすること、無いのだろうか。小学校からの長い付き合いだが、こんなに南国の性に忠実な男もなかなかいないと感じる。一本気で、ぼくは好きだけど。




Chai - Gyaran-Boo


コツコツためた小遣いで吟味に吟味を重ねてCDを買うという一連の行為。そんなことを30歳を過ぎたおっさんがやっている。まことに滑稽極まりない。気持ちは中学生のままだと思うことは度々あったが、まさか本当に中学生のようなことをやるとは思わなかった。家庭のあるサラリーマン。お財布事情は高校生未満である。だから、とにかく無料で楽しめるyoutubeはすごい。すごすぎる。youtubeは小学生とおっさんのためにあるし、おっさんと小学生がyoutuberに憧れるのも頷ける。そんなことで、ぼくは最新の音楽情報をyoutubeに頼るほかなかった。そして、Chaiを知る。80'sニューウェーブとゼロ年代リバイバルの合いの子であり、技量は若手にして過分。ビジュアルは派手。背後で押しまくっているプロモーター連中のきな臭さはあるものの、久々に前に出てきてよかったなと思うバンドだった。これは聴いた方がいい。良かったので。





Junie Morrison - Super Spirit


とにかくそういうことだから、昔買ったCDばかり聴いている。中でも、アルバムの7曲目に入っているような曲ばかり聴いている。飴のついていた棒をしがむような感覚がとにかく良い。この感覚はそのまま人生じゃないかとも思う。飴はすっかり無くなってしまって、棒がモロモロになってきてもなおしがみ続ける。飴ではなくてもう全く別の食べ物が横にあるのに、なんとなく捨てるのが惜しい感じになる。貧乏性だからかも知れない。結婚したからと言って、家庭があるからと言って、あんまりすぐに別の果実にかぶりつけるほど図太い精神ではないからかも知れない。昔よく聞いた音楽は多分これからもずっと聴き続けるんだろう。





BUDDHA BRAND - 人間発電所


夏の終わりに嫁はスチャダラパーのサマージャムをよく聴いていたけれど、ぼくはブッダブランドだった。本当は54-71が聴きたかった。「Emolition Man」という曲を聴いていた時に、『そのアタマおかしい音楽やめてくれへん?』と言われて、部屋で流すのをやめた。確か土曜に部屋の掃除を終えてくつろいでいた時だった。うさぎがよく反応する。すぐに秋が来てしまって、風邪を引いた。モノホンプレーヤーとは何なのだろうか。





YeYe - うんざりですよ


『決して手に入らないものばかり求めて、それについて考えて、言葉を重ねて、どうなったんですか。もしかすると結果なんてどうでもよくって、はなからその過程自体を苦悩のうちに楽しんでいるだけなんじゃないですか。だとすれば、それはほんとうに悲しいことですね。あなたが普通の生活というものへの憧れを捨てきれていないのであれば、流れに任せて何かをしたり決めたりする年齢ではとうにないのだから、少なくとも今まさに起こそうとしているその行動にちゃんと意味を持たせて下さい。』




The xx - On Hold


生活に消耗しているわけではないけど、なんとなくスペシャルなエピソードを思い出したり、少し前まで大切にしていたこととかが気持ちの前の方に出て来ていない気がして、何年かに一度色々あってこんな年始を迎えたことがあったっけなって思う。なんにも変わってないし忘れてもいないんだけど、前の方に出てきていた気持ちがどっかに引っ込んじゃってる感じがなんとなくかなしい。今まで全肯定して来たはずの自分の内面の変化に気付いた瞬間って、イヤ〜〜な感じになりませんか。歳を取るのはどうも不得意で、これは経験を重ねるという意味で。ともあれ、ぼくは、むかし出会ったいい女の思い出を息するみたいに話しはしないし、いい女の話は他人にしないので。





台風クラブ - ついのすみか


大阪に暮らして丸3年が経った。仙台で暮らしていた2011年からの3年間が、そんなことあったっけ、というような感覚でいる。その前は東京に居た。本当にいろんなことがあった。このブログに書いてきたいろいろ以上のいろいろがあって、今がある。セールスではなくて、マーケターというのをやりなさいということで、大阪に来た。ぼくは転勤族だから、大阪もすぐ離れることになるんだろうなと思っていた。ところがなかなかこれが、転勤するような感じが全くしない。去年の今頃に、ひとりの女性と出会って、洗濯機に放り込まれた服みたいに右へ左へ転がっているうちに、結婚もした。ファミリーマンションなんてのはわりかし広くて、ワンルーム暮らしに慣れたぼくには落ち着かなかったけど、今じゃ狭いくらいだ。むかしは毎日毎日あれだこれだと言っていたわけだけど、よくよく思い出し考えてみるとなんてことはない日常が続いているだけだった。クソつまらんどうでもいい日常をアップし続けるのはフェイスブックくらいでいいと思う。だいたい自らの日常をSNS経由で全世界に向けて開陳することは、ほぼ公開排便に近いし、そうなればフェイスブックは単に便器だ。ここまで言っているけどこれは酷評じゃない。それはそれでいい。ぼくが言いたいのは、その便座は温かいほうがいいってことだ。うんこは出てしまうものだから、なるべく家の快適なトイレでしたいでしょうという、穏健な提案なんです。今ぼくは起きた出来事そのものの面白さよりも、これからどういうことが始まって、それが続いて、終わりがあるのかないのか、みたいなことを楽しみにしている。人生の1/3をとうに過ぎる年齢まで来たからなのか、はたまた家庭での役割があるからなのか、理由は分からないのだけれど。この家にはあと5年もいないと思う。このブログはたぶん続く。けっこう温まっているので。

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# by ahoi1999 | 2018-01-05 00:47 | 思い出 | Comments(0)

年の瀬のこと

ZAZEN BOYSのライブに行ってきた。ものすごく良かった。何年か前に京都で見た時よりも数段良かった。吉田一郎も素晴らしかった。細かいことを言えば「asobi」という曲の最中に向井がシンセサイザー(彼いわく『シンセサウンザー』)で遊び過ぎてリズムを見失ってから立て直すまでが心配になったくらいで、とにかくものすごく良かった。10年前に心斎橋クラブクアトロで見たZAZEN BOYSのライブを、10年後のいま梅田クラブクアトロで同じように見ている。けれどもそれは同じようでいて全然違うもので、あの体験とこの体験との間に費やされた時間の長さがはっきりと自覚できた。12/23からZAZEN BOYSの吉田一郎はもういないし、日向秀和に至っては所属していたことを知らない人が存在しても不思議はないと思う。いつかのライブ音源に入っていた向井秀徳のMC『バーカウンターはあちらにございます』の心斎橋クラブクラトロも梅田に移転するくらいの、そういう時間が経ってしまった。長い。長すぎる。10年も吉田一郎のベースを聴き続けている間に、ぼくは大学を卒業し、社会人になり、結婚して、子供を儲けた。10年はそれくらい長い。



恥ずかしながらクリスマスイブが誕生日だ。「え、その顔で何言ってるんですか」みたいなことを言われて20年は経っている。そのたびに深く傷ついている。誕生日を聞いて答えて今まで笑わなかった人はいない。ニガーにほど近い地黒の肌とちんちくりんの背、異常に発達した胸毛と昭和感の強いアゴ。クリスマスイブが誕生日なんてのは本当に勘弁してほしい。滑稽にもほどがある。ぼくがもしバック・トゥ・ザ・フューチャーの主役だったら、デロリアンで30数年前の日本・その片田舎たる滋賀県に降り立ち、県下一偏差値の低い商業高校でパンチパーマと聖子ちゃんカットの日産グロリアを乗り回している男女・すなわち両親に対して『恥ずかしい日に向けて受精すんな!』と言いたい。とここまで書いたはいいが、思い出した。12/24にかこつけて射精してきたぼくはどうなのか。自問自答すべきなんじゃないか。過去5年間を考えてみても、2017年やってません2016年やりました2015年やってません2014年やりました2013年やりました、で、2やってません3やりましたとなる。2015年はいろいろあったし、2017年は強度のストレスによる胃痛で一日寝込んでしまった結果、セックスを未遂する不始末で仕切り直しとなった。あとは大体しとる。ぼくはセックスしとった。12/24着の受精を批判するのであれば、12/24発の受精は批判を免れないのではないか。むしろ12/24発の受精行為の方が、悪質ではないか。おかあちゃんごめんなさい。ぼくはわるいことをしました。



12/24が通り過ぎて行って、またひとつ30代の泥濘に足を取られてしまった感がある。去年泥にはまったのが右足だとしたら今年は左足であって、あとはもう胴からずぶずぶ沈んでゆく実感だけがただある。さらに家庭と生活があるものだから、独身の時よりも個性の主張とかはあまり無くて、あとは丸く丸く、ぐでんぐでんのドロドロになって、日常と溶け合うしかない。これを悲しいと捉えるか幸せと捉えるか、何と解釈するかは人によるから何とも言えないのだけれど、ぼくは少なくとも、痛しかゆしだなあと思う。毎日と毎日しかない2人夫婦の家庭は、いろいろな事情があるのだろうけど、すごいなと思う。毎日と毎日しかないから、子の成長が楽しくて仕方ない。最近はまた、子はかすがいという言葉の、芯からの意味が理解できるようになった。性格真逆で駅までの道順も違うひとと結婚できて良かったなと単純に思うけれども、こういうことを感じることもまた、嫁あって子がうまく育つことを目の前で見ているからに他ならない。早朝寝ているとぼくの耳の穴に思いっきり指を突っ込んでグルグル回すくらいのことは出来るようになってきた。いろいろ苦労は多いが、子の成長は楽しい。



今年はこれで4回しかブログを書いていないみたいなので、来年はもっと書きたいけれど、安易な選択肢としての子育てブログには逃げないので、初回から貫いてきた社会派ブログの姿勢だけは変えないつもりです。




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# by ahoi1999 | 2017-12-27 01:30 | 生活 | Comments(0)

今年の夏のこと

サラリーマン人生でおそらく今後絶対ないと断言できるほどの長期休暇を取っている。昼下がり、朝いちばんに嫁が干してくれた洗濯物を取り込むためにベランダを行く。わりと静かな通りの向かいにあるローソンストア100の前で、縁石に腰掛けながらスーパードライを飲んでる無職風のおっさん2人が見える。既にろれつが回っていなく、言語不明瞭すぎてその会話の内容がさっぱり分からない。ただ時折互いの顔を見合わせて、『ダッハッハッハ!』と笑うので、たぶんお互いでのみ会話は成り立ってるんだろう。夏の日差しがすこぶる強いので、早々用事を済ませて部屋に戻る。そういう日々が過ぎて、いま7日経った。


休暇の理由は一応新婚旅行と言うことになっている。けれども、それは昨年あるべきもので、つまり仕事が忙しくて取れていなかった休暇をいま取っている。あとこれは主な理由ではないのだけれど、ストレスが凄すぎて帯状疱疹という病気にかかって、思い切って休もうかと思ったことも理由のひとつだ。7月の始めの土曜日、首筋から肩にかけて得体のしれない虫に刺されたような感覚を覚えて、家の姿見で確認してみたら、違和感のある場所がボッコボコに腫れ上がっていて卒倒しそうになった。慌てて近所の皮膚科を探した。2~3年前、色んな人とめちゃくちゃデート行ってた時くらいグーグルを駆使して検索した。ホームページのある病院に片っ端からアクセスするようにした。ぼくはこういう時、新しくかかる医者のプロフィールをしっかり確認するようにしている。結局、卒業した大学ではなく「灘高校卒」を推しまくってる、ひ弱なメガネが院長をしている町医者にかかることにした(院長紹介の本人画像が東京上野クリニックみたいなタートルネックだったこともポイントが高かった。やっぱりホーケイなんだろうか)。


院長は、おそらく人の目を見て話すことが苦手なタイプなんだろう。ぼくの口元を見て問診してくる。人の目を見て話すことが出来ない人は口元を見ろ、みたいな指南書を読んだことがある。『あ~~。え~~とこれは帯状疱疹ね。原因はストレスね』と言う。ぼくはこの時、刺すような痛みと灼熱感に襲われていたのだが、さすが灘高校卒となると苦しむ患者を目の前にしても冷静である。『この病気にはね、この薬が効くんです。これね。飲み方も書いておくから。これがいちばん重要な薬ですからね』などとひ弱メガネは念押しして言い、ひとつの紙片を手渡してきた。

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何ひとつとして分からないことをお分かり頂けただろうか。結局この病院では5種類の薬を処方され、1日3回を1週間ほど飲み続けたのだが、灘高校卒のひ弱メガネがこの紙片で何を伝えたかったのか、ぼくはいまだに分からない。ただ、彼の言うとおりに薬を飲み続けると、症状は治まり、現在では何の支障もなくなっている。『結構な人が後遺症が出ますからね、おかしいと思ったら来てください』とぼくの口元に語り掛ける彼は、実のところ名医だったのかもしれない。



昨日の夜、嫁が『またカツヤからライン来てる』と言った。カツヤはすごい奴で、我が家のアイドル的ポジションを獲得している。2年前、大阪の布施で自転車に乗っている嫁を自転車で追いかけてナンパしてきた奴だ。その時自称31歳だったから、いま33歳ということになる。あまりにもしつこく、またちょっとオモロイなと思った嫁はライン交換した。以来、完全既読スルーをしている嫁に対して3週間に一度のペースで『こんばんは』『どうしてる?』などとラインを送ってくるのだ。ざっと計算しても34回以上は既読スルーされていることになる。カツヤはすごい。頭がおかしい。大体にして、自転車に乗ってる女を自転車に乗ってナンパするのも斬新である。もっと言えば、嫁はピアスを両耳20個くらい開けていて、まさに「人間知恵の輪」みたいな耳になっている狂人であるわけだし、見た目100%のナンパでもってどうこうする女ではないのである。夫のぼくが言うんだから間違いないでしょう。とにかく頭がおかしいカツヤからのラインを、われわれ夫婦は待望しているのである。決してブロックはしない。ブロックするときは、われわれが離縁する時だと互いに決めている。そして、ブロックされたら相手に関わらずなんとなく寂しい気持ちになることも、われわれ夫婦は知っている。


嫁はカツヤに限らず変な奴を引き寄せる性質の持ち主らしい。先日は明らかに挙動のおかしい老婆に声をかけられた。近所のスーパーまで買い物に行った帰り、ぼくはベビーカーを押し、嫁はキャベツやネギを入れた袋を持っていた。家路を急いでいると、生活道路のちいさな四つ角に立つ電信柱に寄り添って、腰の曲がった老婆がたたずんでいた。その目はジットリとしていて、一見、常人ではないオーラをまとっていることは確かであった。ぼくはベビーカーのハンドルをぐっと握る。何か起きては大変だ、あいつはきっとキチガイに違いない。目を決して合わさぬよう、通り過ぎる。その瞬間だった。『おねえちゃん、野菜いらんか。』嫁が声を掛けられてしまった。ぼくではなくて、嫁だ。『おい行くぞ!』と声をかけたが、ずんずん老婆の方へ歩み寄っていく。ダメだ、何でこういう時に夫の言うことを聞けないんだ。普段は聞かなくていいからこういう時だけは素直に聞いてくれ。『これナ、うちの庭でナ、取れてん』と言い、老婆は「業務スーパー」と書かれたビニール袋から、完全な雑草を取り出した。ビニール袋に一掴みの、完全な雑草。いよいよ勘の鈍い嫁も口を開く。『はあ。貰っていいんですかこれ。』お前それ貰うんかい。完全な雑草やぞ。どないすんねん。夫には物を捨てろ捨てろと言うのに嫁のお前はババアの雑草持って帰るんかい。瞬時に心の中で突っ込んだものの、声に出すことは出来ず、ぼくはただただ息子が眠るベビーカーのハンドルをグッと握っていた。その時だった。老婆が口をもごもごさせたと思いきや、今日いちばんの大声で『おねえちゃんお金はろうて!50円でもええワ!ナァ~~!!!!』と叫んだ。業務スーパーの袋に入れられた完全な雑草は50円~であることに衝撃を受けた。思わず嫁の顔をみると、みるみる顔がこわばってくるのが分かった。『は?これお金とんの?ほないらんわ』そう言って嫁は、てくてく歩きだした。ぼくも一刻も早く立ち去りたかったので、合わせて歩き出した。背中から老婆の『50円でもあかんか~~!!!?おねえちゃん!!!!??』という絶叫が聞こえた。嫁は『あんなババアに関わってるヒマないわ』と冷たく言い放った。ぼくは完全に頭が混乱して、その日は早く寝た。


この土日が終われば、長い休暇も終わる(いまは便利なもので、家にいても職場と変わらないくらい仕事ができてしまうから、あまり休んだ気になっていないのだけど)。2017年春から夏にかけて、自分の中で今まで以上に「生活」のウエイトが大きくなった。つまりこの休暇は「生活」を満喫した。家事と育児は生活そのものだ。生活はレジャーではないから、満喫もくそも無いのだけれど。


日々ほぼ100%生活、という環境の中に自分を置いてみると、例えば喜怒哀楽の前提がかなり違ってくる。だから、価値観が違ってくる。以前ぼくは、いわゆる家庭生活に浸りすぎると「感性が摩耗する」と言ったことがあるのだけど、それは自分が「自分のために自分をどうしていくか」という前提があったから。今は「家族のために自分をどうしていくか」ということに変わって来たし、あたらしい家族とか子の親とかいう目の前の役割があって、またそれは不可抗力的に作用してくるものでもあるわけだから、自ずと価値観も変わらざるを得ない。大学で勉強している間は「ライフステージ」と言われてもあまりピンと来なかったし、自分には遠いものだなと思っていたけれど、もうこんなところまで来ちゃった。30歳男の夏はこんな風にして過ぎていくみたいです。




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# by ahoi1999 | 2017-08-05 04:03 | 生活 | Comments(0)

2016年の音楽(に、まつわるエピソード)



ぱいなっぷるくらぶ ― finderrr


20代最後の歳だったから?状況がそうしたから?つくりすぎのセリフでアンビバレンスを感じるのは冬だったからなのかもしれない。理想的にゆれるのは心だけでいいと思うし、あの時のことは今となってはよく分からないけど、分からないなりに思い返すと、記憶は案外鮮やかに残っていたりする。いずれにせよ感情の切れ味はすごくて、ペーパーナイフのつもりで遊んでいたらいつの間にか斧になっていたりするから要注意だ。ぼくは『過去は振り返らない』と心から言い切ってしまう人には一生なれない。そんなマッチョでスパルタンな精神を持ち合わせていたなら、こうして何かを書くこともしないのだし、そもそも思い出をどういうものにするのかなんて、未来の心持ちしだいでしょ。現に、すげえ情けない内容だなと思ってたこの曲も、今はわりと心地良い感傷があっていいなと思う。




Ozone ― Gigolette


年上の女性と少しの間デートしていた。誘われるがまま、全くの興味本位で。その人は33歳だった。の割には、おおよそ洗練されていないタイプの人格で、少なくともぼくとは合わなさそうな人だった。いわゆる不思議系とか、良く言えば天然ボケとか、そういうカテゴリーに属する人だった。さらに加えて、「何のきっかけもなしにどんどん熱量を上げていく人種」でもあったことが致命的だった。それに気づいてからはいよいよ本当に人が合わないなと思った。この後期アラサー女の、直近までやっていたドロドロ不倫の話、芸大を出て夢だったテキスタイルデザイナーをしていたのに男でこじれて会社を辞めた過去、決してしゃくれてはいないが少し尖ったアゴ、自称上野樹里似の天パみそじ女、職場の同僚に誘われた32歳のハロウィンでナースのコスプレをしていたらザイル系男にナンパされ人生初のクラブへ行ったこと、それら全ての話を、ぼくは淡々と聞いていた。これだけ見事に、全てのエピソードに、自分の主導権が存在しない人もいるのだな感心した。結局いい歳こいて男の転がし方も知らないジゴレットじゃないかと思った。『やっぱりデンギンのっ、ヒィッ、バァルヒトトォワァ、げっごん、で、で、で、でぎない゛ぃぃ゛のォ~~!!!(やっぱり転勤のある人とは結婚できないの)』まがい物の上野樹里が泣きながら電話して来たのは、それから少し後のことだった。いきなりのことに絶句した。たった一ヶ月の間で、彼女はぼくとの結婚を真剣に考えていたらしい。というより、彼女の中でぼくたちは、結婚を前提に付き合っているらしかった。頭の病気なのではないか。統合が失調してしまったのなら、即座に黄色い救急車を呼ぶべきだ。そう思った瞬間、あ、この人はちゃんと自分で自分のことを決められるんだな、と妙に安心したのも事実なんだけれど。




OGRE YOU ASSHOLE ― ピンホール


ぼくは他人の話を真正面から聞き過ぎるし、あなたは真反対から物事を見過ぎだ。けれども、その間を取ることは到底出来るものではないのだし、ぼくは聞いた話をそのまんま額面どおり覚えていて、いつかそんなことを言われたなと時たま思い出して用意をしておくくらいのことはする、瞬間、あなたはその逆を常に行っていて、交わることは最後までないのだとも想像する。考え方を少し変えれば、正面とその反対にいるものは同じ感覚を持っているとも言えるし、たまたま最初のポジションが逆だったというだけで、本質的なものの見方は同じだと言える。ぼくらは平行でないのであって、相対しているだけだという、そういう構造の中にいるということだ。



Herbie Hancock ― I Thought It Was You


何回催促しても我が家から全く退出する意思のない女教師に『もう泊まってったら。風呂は勝手に入っていいし、タオルこれ。あと着替えここ置いとくわ。』と言って先に寝ていた。『なぁなぁ寝てんの?』『なぁなぁ』『も~~~』と言ってるのは薄っすら聞こえていて、体を強く揺すられて起きたら、目の前に全裸の女教師がいた。次の瞬間には入っていた。否、入れられていた。ちんぽが膣に押し込まれたのだ。セックスだ。まどろみセックスというやつだ。なんなんだこの女。クソほどエロいじゃないか。もっと早く言ってくれ。つけたのか?いやそんなことはない、絶対なんにもついてない。生だ。世の中の大体の女には『先っぽだけ!お願い!』とかいう、情けないお願いをしなければならないのに、オートメーションで生だ。なんてこった。先生これはいけない。『えっ、ちょっ、これ』と思わず口に出したら、『私の勝手やん』と言う。おいおい。インモラル女教師っていうタイトルで一本撮れるじゃないかお前。がぜん燃えるじゃないか。やってやろうじゃないか。私の哲学はね、触らせていただく、舐めさせていただく、入れさせていただく、これなんです。セックスとは三つのさせていただく精神。これが私です。させていただいておるんだけども、改めて今からさせていただきます。あらためまして、はじめまして、ちんぽです。そういう気持ちである。そういう気持ちで夜が白む頃までさせていただいたわけです。はっきり言ってレイプです。私、たいへんに満足でした。ありがとうございました。以上が、黒く長い乳首を持つ先生に、犯されたいきさつです。




太平洋不知火楽団 ― サテライトからずっと


季節の高揚感に反比例するみたいに感情が死んで鬼仕事マシーンだった初夏のころ、頭がぶっ壊れそうになっていた。深夜、誰もいなくなった事務所でひとりビールを飲みながら仕事をしていた。マーケターであり、プロダクトプランナーであり、営業セクションのフォローと言う名のもとに半分セールスまでやっているのだから、当然数字を意識しなければならない。決算期までまだまだ時間はあるのだけれど、それはあくまでカレンダー的な概念であって、数字作りのための商品開発を行うには5月がスケジュールのリミットだった。数字いじりばかりしているのんきな連中は楽観的な予測ばかりを並べ立てて、今期は事業計画通りの着地であるという。そんなはずはない、と思った。現場にいれば分かる。危ない匂いがする。『仕事の効率を考えろ』などと言いながら早々と帰っていくおっさんたちの背中を見送りながら、ああもうとことんやってやろうと思った。とたんに酒量が増えた。タバコも増えた。頭はかなり冴えた。口の利き方と態度は非常に悪くなった。深夜2時、事務所のセコムをセットして退勤、コンビニでストロングゼロを買って飲みながら帰る。イヤホンからは爆音で太平洋不知火楽団が聴こえる。途中、自販機のゴミ箱に空になった缶を押し込んで歩く。自宅マンションのエレベーター、3F降りて左。ドアを開ければ即寝。そんなことが梅雨くらいまで続いた。ところで、当社の決算は終わったんだけど、やっぱり事業計画は未達に終わりました。今年のぼくには、去年と同じことはもう出来ないし、おっさんたちのことを内心『ばーか』と思っています。




Toro Y Moi ― Never Matter


クソ暑い夏の日に、涼しくなれそうな気がして、この曲ばかり聴いていた。




Talking Heads ― This Must Be The Place (Naive Melody)


実際のところ人生は向こうからやってくる。正確に言えば、人生のカタチは勝手に決まる。自らの力で積み重ねた先に決定的なものを掴み取ることが人生の醍醐味だと思っていて、またそれが人生そのものだと思っている人には残念極まりない事実だ。何かが起こることを察知したその瞬間、肩から腰にかけ大きく体をのけぞらせて様々なアクシデントを回避してきたぼくにも、回避できないことがある。たまには何かが直撃することだってある。隕石とか、彗星みたいなものである。いくつもの「不自然」が偶々重なり合って「自然」ができているのか、作為や不作為の連続が未来予測を不可能にしたのか、今となってはよく分からない。そもそもぼくらはブリには大根、納豆にはネギ、みたいな感じではなかった。なかったのだけれど、なんとなく、日々は過ぎていく。何事もなく。例えば二人とも栗ごはんがあまり好きではないのだけれど、おれは栗ごはんの塩加減最高なごはんが好きであの人は栗ごはんの蒸された栗が好きで、そういう理由であまり好きではない栗ごはんを囲うことだってある。なにも、栗ごはんそのものの好き嫌いにこだわる必要はないってことだ。とにかく、そういうことで、毎日を過ごしている。

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# by ahoi1999 | 2017-01-25 01:29 | 思い出 | Comments(0)

希少なものについて

初詣に出掛けて、詣でずに帰った。500人もいようかという参道の人の波が、ターンパイク状に整列配置されているのを見てウッとなり、いそいそと帰路についたのである。せっかく淀川を越えて大阪中心部まで出てきたというのに、巨大ネックレスジャージスキンヘッド夫と厳寒ミニスカババア妻、そしてそこらじゅう走り回る金髪のガキという組み合わせの珍家族が初詣に出掛ける後ろ姿を見送って終わりである。この家族は登場感がすごかった。げんなりとした気持ちの道中、なんとなく路面に突き出た看板へ目をやると、「和牛希少部位専門店」と記されてあった。「和牛希少部位専門店」である。いったい、和牛の希少部位とは、どんなものなのだろうか。能書きには、「グルメな方 和牛肉の旨さを味わえます!! 希少部位全て」とある。牛の、希少な部位。例えば、フィレ肉。あるいはその希少なフィレ肉のさらに希少な部位とされる、シャトーブリアン。そういうことなのだろうか。そういうことであれば、和牛でなくても良いのではないか。和牛を推したいのか、希少部位を推したいのか、そのどちらもなのか、いやきっと店主に聞けば「どっちも推しです」と言うのだろうが、結局のところ、ただの牛ではない和牛、その希少部位専門店、つまり希少に希少を重ねた希少の極北にいる肉を食わせてくれる、そういうことなのだろうか。



もやもやした気持ちで地下鉄に乗る。最寄り駅近くのスーパーに寄る。肉売場の前を通り過ぎようとすると、大きなPOPが目に飛び込んできた。そこには、「脂身が少なく、ヘルシー。希少部位ランプ。」とあった。希少なランプ肉。つまり牛畜生のケツ肉である。ランプ肉にはミディアムでもナイフを入れにくい固くて安い肉というバッドイメージしかない。だいたいが、牛畜生のケツ肉なのである。そんなものがうまいはずないじゃないか。高校生の時から大学卒業までステーキハウスでバイトしていたぼくが言うのだから間違いない。ありがたがって、なにが希少部位だ。噴飯ものである。バイト先の店がハンキングテンダーをステーキ状に大きくカットして「ハラミステーキ」と称して売り出した時以来の衝撃(ミートショック)だ。ハラミっていうかサガリだし、横隔膜近辺の肉は何より臭い。そして仕入れ値が安い。これも希少部位云々と銘打っていたような記憶がある。



肉屋やスーパーが言う希少部位とは、本当に、「少なく希な部位」の字義そのままなのである。肩ロースとバラ肉以外はすべて希少部位と言えてしまうことになる。ここには、「まれでありがたいことがたくさんある」状態が至高とされる、奇妙な価値観が存在している。普通に考えて、まれなものというのは、そんなに多くあるはずがない。まれなものがたくさんあれば、それは日常になってしまう。それなのに、「まれでありがたいことがたくさんある」が至高とされる世界を多くの人が望んでいる。誰にでも、大切にしている素敵な思い出とか、出来事とか、出会いとか、そういうものがあると思うけど、毎日毎日あるわけじゃない。相反することを求めるあまり、価値観が歪んで噴き出したその一端が、「肉の部位のうち、ほとんど全部が希少部位に当たってしまうんじゃないか問題」だったという訳なのだろうか。



しかしこんなのはもはや、ないものねだりの具現化じゃないか。こんなこと、してはいけない。ないものねだりを具現化した人の末路はみんな悲惨だからだ。キラのカードばっかり持ってる金満の子。ウェルチが無限に出てくる家の肥満児。呼べばすぐ来る女。ワリカンしたのに「全額記載の領収証くれ」という脱税自営業者。ないものをねだったが最後、全員不幸になっとるやないか。キラのカードばっかり持ってる奴は20年後すっかり根気強さが無くなってしもうてニートや。ウェルチ無制限の肥満児は高校中退してコンビニの深夜バイトや。当然童貞や。呼べばすぐ来る女。お前は色々とありがとうございました。ぜんぶ経費にしてた自営業者は追徴課税受けとったわ。全員アホばっかりやんけ。見てみい。



「世の中にほんの少ししか存在しないものを、両手からこぼれてもなお欲しがる人間の浅ましさ」みたいなのって、人間の本質的な業だと思う。みんなこの先きっとなんにも変わらないまま、気付かないまま、ないものねだりを繰り返して行くのかもしれない。ぼくは30歳を迎えていよいよ頭髪の薄さに気を取られてきたのだが、ヅラをかぶろうとは決して思わない。ヅラは、ないものねだりの具現化の最たるものであるし、姉歯一級建築士の例をみるまでもなく、その末路はとても悲しい。「なんらかの救いを与えうるものがあるとすれば、それはとらわれぬことと気を使わないことだけであろう。」とヒュームも言っている。




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# by ahoi1999 | 2017-01-05 02:22 | 生活 | Comments(0)


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